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社寺のまえに広げた扇子を置いて参拝してる人たち。昔はこういう作法があったんだろうか
聖徳太子が近江の石寺という村を歩いてたら一匹の人魚があらわれて「自分は前世の業でこんな姿になってしまったのでどうかお寺を建てて供養してください」と太子に懇願する、という場面の絵。
左が聖徳太子、右が人魚なんだけど、これはまたずいぶんインパクトの強い人魚だぜ…カッパのDNAも入ってる?
それにしても自分はもうこういう絵本みるとまずなによりも擬人化が気になってしょうがない脳になってしまった
幻の七福神メンバー、吉祥天と猩々。
2女神体制もわるくないと思いますし、七福神に猩々がはいってた場合当方としましては正月の昼酒寝酒のエクスキューズが非常に容易になるのでたいへんよろしいかと存じます。
しかし、となるとだれか2福神を交代しなくてはならない。
それからこれはもうひとつ別の疑問として、一昔前までは貧乏神といえばからなずボロボロのうちわ持って描かれていたけど、「貧乏神=ボロうちわ」のイメージが定着したのはいつ頃からなんだろう。そしてなぜボロうちわ。
そしてさらに、イメージが消失したのはいつ頃なのか。
さっそくダウンロードできる門松カードを集めてみたのだけど、けっこうこまかく違いがあっておもしろい。地域性もあるんだろうけど、自治体や担当者のこだわり、センスも大きいのでは。
この年末年始のたのしい課題ができた。 https://t.co/ceiVuyj5aA