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【追伸】昨日は、年忌法要4つ、満中陰法要1つ、葬式2つ。何とか時間が組めて助かった。朝8時から始まって、最後は18時、わが寺の女性僧侶のご主人の初七日取り上げ法要を、この僧侶と一緒に。「お経を手向けている側の私達も、最後は手向けてもらう側になる。それまでは、役目を果たそうね」と。
【追伸】老人ホームに親を預ける事を『親不孝』と思い、苦しんでいる子供が、年間に数人、相談にやって来ます。その人達に拙僧「ホームに預けるは、親不孝でもなんでもない。在宅介護は協力なしでは不可能。共倒れだけは、避けなければ。周囲は無責任に正論を振り翳し、好き勝手を言う。ほっとけ」と。
【法話補足】老人在宅介護は、家族の協力なしでは、なかなかに難しい。わが寺の檀家さんの中には、この在宅介護は少なからず。読者高校生が「僕の家も曾祖母を在宅で。風呂は僕の役目。湯船に浸ける前は『殺される』と、近所に聞こえる程に。湯船に浸かると『気持ちよか』と。大変だが、可愛いよ」と。
【追伸】読者が「20年前に爺ちゃんが他界した時には、湯灌(故人を拭き清める)の時、家族全員が部屋を出されて、病院側が。が、この度の母の時には、家族も一緒に。いつ、やり方が変わったのかな」と。「最近みたいだよ。親の遺骨を電車や火葬場、生ゴミ置場に、置き捨てる様になってからかな」と。
【追伸】以前、東京五輪の時「便所で三密にさせない方法は」の問いに対し「便所の鏡を撤去すればいい」と答えた小学生がいた。この檀家小学生、今は中学生になったが「ロシアがあんな風だが、日本はどうしたらいいと思うかい」と尋ねると「有段者(柔道、空手)に喧嘩を売る者はいない、と思うよ」と。
【追伸】5年間、痴呆だった婆様が爺様他界の日に完全改善を。どんな作用が働いたのか、知人医師達に聞いても「何かの免疫作用かな。そんな事例は聞いた事が」と。その婆様、85歳で痴呆が治って以降、104歳で他界まで正常。当に、真実は小説よりも奇なり、だね。「人生、諦めたらあかん」の教訓。
【追伸】80歳の時、痴呆になった奥様をご主人が、奥様から罵声、暴力を浴びながら献身的に介護。「一緒に居れるだけでわしは幸せ」と。そのご主人が88歳で他界。その日に婆様の痴呆が改善。子供達が「まさか、母は狂言を」「5年間も狂言はなか。爺様が婆様の痴呆を持って逝ってくれたんかな」と。
【追伸】この夫婦に「人生は取り返しが効く、なんて言葉があるが、大半は取り返しは効かない。時間を取り戻す事が出来ない様に。同じ過ちを繰り返さない様にする事は出来る。人間は必ず何かの役目を持ってこの世に。息子さんは、親の心を改めさせる為に、この世に。残る2人の息子さんを、大事に」と。
【追伸】先日、関西方面から読者の警察官がお寺へ。「法話の中に書かれている親の虐待、凄い数です。私はその部署に。人間不信になります」と。虐待されて育った子供が、親になってわが子を虐待する確率は8割と。残された心の傷が気づかぬ内に、身に付いてるんでしょうね。わが檀家にもその様な例が。
【追伸】母親に纏わる言葉を2つほど。「思い知られよ、己が身の、誕生の日は、母苦難の日」と。誕生日は母親が、死ぬ思いで産んでくれた日。自分の事ばかり祝わず、改めて親孝行する日かと。「母死んで、拝む両手があるならば、生きてるうちに、肩1つ揉め」と。親孝行したい時には、もう親がいない。