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キューバ系アメリカ人のフィリップ・ジーザス・コンサルボスは、1891年にハバナ郊外で生まれた。人生の大半を葉巻職人として働き、1960年頃に亡くなった。1980年、ガレージセールから、750点以上の葉巻に巻かれたシガーバンドの紙製コラージュ群が発見され、彼の存在が世間に知られるようになった。
ゾンネンシュターンは、23歳で兵役に就くが自ら精神錯乱者と訴え、除隊処分となり精神病院に入院。退院後、28歳でベルリンに渡り、詐欺師として活動。38歳のとき、薬剤法違反、詐欺的医療行為、医薬品偽造の罪で禁固刑を宣告され、精神病院に強制入院となる。入院していた画家の勧めで絵を描き始めた。
擬人化した猫や子猫のイラストで知られるルイス・ウェインは、晩年になり人気に陰りが見え始めると生活的に困窮。 次第に現実とファンタジーの見分けがつかず統合失調症に苦しむようになった。64歳のとき、精神病院に収容される。猫のイラストは、サイケデリック調で幾何学的な形態へ変容していった。
両親がアルコール中毒だったジーン・メリットは、5歳頃、高熱に見舞われ脳に障害を負った。幼少期は施設と実家を往復し、12歳のとき母親が自殺した。父を亡くして以降は、不安定な生活を送った。 56歳から、食堂の机をアトリエ代わりに、人前で何百人もの音楽家や映画俳優、地元の有名人の絵を描いた。
今年56歳になるジャン=マルク・ルノーは、18歳から絵を描き始め、21歳のとき黒澤明の映画『乱』を観たことがきっかけで、色とりどりの布地を収集するようになった。 20代後半からは、それらを使って人形や自身が被るマスクを制作するようになった。普段はフリースクールの教師として働いている。
今年71歳で亡くなったジョン・ヒルトゥネンは、2003年からクリエイティブ・グロース・アート・センターに通い、2006年からコラージュで制作を始めた。 主にファッションや自然史の雑誌に掲載された動物や人間を題材に、テーブルの上で構成を考え、かなりの時間を費やしてコラージュ制作を行っていた。
ポール・ハンフリーは、高校卒業後、軍隊や建設局での仕事を経て、40歳からタクシー会社などで働いた。57歳の時、心臓発作で退職。退役軍人の年金と空き缶回収の仕事で生計を立ててながら、68歳で他界するまで「眠る女性たち」の絵を毎日描き続けた。他界後、人生の多くは創作であったことが判明した。
今年69歳になる門間勲は、東京の障害者施設で事務員として働いている。子どもの頃から絵を描き始め、絵を描いていた20代のある日、強い力に襲われ、手が導かれる神秘体験をする。北海道の山奥に籠り、「自己救済力」と呼ぶ力を身につける。以来、誰にも見せることなくモンマの名で絵を描き続けている。
今年77歳になるウィリアム・A・ホールは、同居中の母親が亡くなったあと、54歳から17年間、ホームレスとして廃車の中で生活していた。毎日運転席に座って断崖絶壁や岩場を走る乗り物の絵を描いた。2015年8月、引っ越してきた夫婦が廃車の中で暮らす彼とその絵を発見し、国際的に知られるようになった。
今年31歳になる富田晃生さんは、13歳ごろから、TVで観た企業や番組のロゴなどを記憶し、厚紙を使って、それらを再現することを試みている。土台として重ねた厚紙の上に、記憶を元に切り抜いたロゴをセロハンテープで何重にも巻きつけていくことで、「本物」のような立体感と光沢感を生み出している。