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このイラストは上手く「平等」と「公平」という概念を表現してると思うけど「どれだけ社会から与えられてるのか」というのが可視化されてることが大問題だという考えはやはりあって、その問題を解消したいなら木箱じゃなくて骨延長手術の方がいい。 https://t.co/OaXX8HcZaM
「「ケーキを”平等”になるよう切れ」はたしかに普通三等分に切ることを意味するが、抑圧的環境下で育った可能性が高いかつ平等と公平の区別が明確ではない非行少年達には「公平に切れ」と解釈されるおそれがあることへの想像力とチャリティ原則が著者には足りてない」という話をした。 https://t.co/2BVhLfKIlg
「数学記号の色分けを緻密化するとAIの科学やサバの模様になる」というのは抽象的なイメージとか比喩的な意味じゃなくて、かなり言葉通りの意味で考えてる。
いつか世界全体がこの感じに見えるような義眼が開発されるんじゃないかと思ってる。 https://t.co/2fr1Q2bXEV
同時上映だったとなりのトトロの善人度100%みたいな顔してるカンタのばあちゃんを見て「このババアも戦時中ははだしのゲンのババアみたいに愛国婦人会のタスキかけてお国のためにりっぱに死んでこいと言うてたんとちゃうか?」と疑うのが正しい見方だと思う。 https://t.co/YiM3LHsmN0
ただ明治の場合「汚れ役を引き受けてた」が完全な自己欺瞞とは言えない。
なぜなら明治は知力や体力という普通の意味での力を持ってるので「汚れ役を引き受けるためにあえてそれを封じてた」と言える。
でも明治みたいに力のない苛められっ子は「あえて」汚れ役を引き受けることができない。
「いじめ、カッコ悪い」という価値転換はかなり成功したけど「いじめられ、カッコいい」にはまだ至ってない。
それは道徳ではなく自然水準ではいじめのカッコよさ以上にいじめられのカッコ悪さが強力だからだと思う。
土田世紀の漫画とかでそういう思想が出てくるけどこれを一般化させるのは難しい。 https://t.co/d7lRVFdZch
「いじめ、カッコ悪い」という価値転換はかなり成功したけど「いじめられ、カッコいい」はまだ至ってないのは、道徳ではなく自然水準ではいじめのカッコよさ以上にいじめられのカッコ悪さが強力だからだと思う。
土田世紀の漫画とかでそういう思想が出てくるけどこれを一般化させるのは難しい。 https://t.co/15pSWZKSHX
「リーダーシップなんて今の時代合わないんじゃないですかね?「リーダーシップは宗教的」?なんですかそれww」と表向きは言いつつ、実際には神々の山嶺を目指す儀式に身を捧げている人が現代のリーダーの姿かも。 https://t.co/JSUWvjxOSg