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大久保ヤマトさんのイラストまとめ


ロクにつぶやきませんが、ロクな事もつぶやきません。
どうかお手柔らかに、よろしくお願いいたします。
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「悪魔の手毬唄(’77)」観た。岡山(広島?)弁なんだけど「ひ」が「し」に聞こえる若山富三郎先生が終始かわいかった。

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【死損ね左之助】新選組十番隊組長で槍の名手の原田左之助の妻は、1867年12月、「当座の暮らしに」と大金を託し、身重の彼女を気遣いつつ伏見へ行ってしまったのが、夫を見た最後だったと証言する(新選組物語)。彰義隊に加わり上野で死んだとも、死に損ねて大陸に渡り馬賊になったともいわれている。

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【墨縄】交換こして、手打ちとなりましたとさ。(※弓は誇張しています。)>RT

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【土佐の出来人】長宗我部元親は若い頃、色白で無口な性質だったので家中では不人気だった。初陣も23歳と当時としては遅く、その時になって槍の使い方を聞く始末であった。しかし、戦いが始まると真っ先に駆け、敵を二人突き倒したので、家来たちはたちまち心服したという逸話がある(長元物語など)。

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【Trick or Treat】骨皮道賢は応仁の乱で活躍した悪党・足軽である。東軍大将・細川勝元に金品をもって雇われ、後方攪乱などで活躍したが、西軍の攻囲に窮し、女性に仮装して逃れようするも失敗、朝倉孝景に討ち取られた。裸に近い軽装だったからなのか、足軽は当時「足白(あしじろ)」とも呼ばれた。

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【戸田半平】設楽原合戦の前日、酒井忠次が提案した鳶の巣山砦の奇襲は、砦を散々に焼き払う大成功を収めた。昼のように明るい火炎の中で、半平の背にする銀の髑髏の指物がひときわ輝いていたので、夜襲に備えて指物を着けなかった他の仲間よりも活躍が目立ったという(常山奇談)。

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桃山展に行ってきた。福岡の侍展では見られなかった「銀伊予札白糸威胴丸具足」をやっと見られた。家康所用とされる一の谷兜は世紀末覇王っぽい。千姫が懸想した場面を描いたとされる「本多平八郎姿絵屏風」の平八郎少年の無造作ヘアが良かったので真似して美少年を描いてみたけど失敗…。

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前に描いた変り兜(右画像)に、ちょっと調べて考えて、具足にしてみた。いろんなデザインを拝借して合体して出来てるので、「鵺具足」とした。あるいはキメラ具足。意味なんてない。

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【土岐悪五郎】大力で打ち物とっての合戦巧者の彼は、水色の笠印のある兜に卯の花威の鎧を着て、楠木・和田の守る山を、猪のように猛然と駆け上がると、にっこりと笑った。(太平記・巻三十一「八幡合戦事附官軍夜討事」)。

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