大久保ヤマトさんのプロフィール画像

大久保ヤマトさんのイラストまとめ


ロクにつぶやきませんが、ロクな事もつぶやきません。
どうかお手柔らかに、よろしくお願いいたします。
pixiv: pixiv.net/users/2618542/…

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大島光義は、13歳の初陣以来、弓での功名は数知れない武辺者で、齢80になんなんとした頃、豊臣秀次の命で八坂の塔の窓へ、10本の矢を射込んだほど健在であったらしい(寛政重修諸家譜)。気力はなおも衰えることなく、97歳の長寿を保った。

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【楠木正行妖怪退治】楠木正行は、多門丸と呼ばれた少年の頃、妖怪(古狸)を倒した伝説がある。
〈注〉画像の漫画は、国文学研究資料館蔵『楠正行戰功圖會』を参考にして、クリエイティブ・コモンズ表示4.0ライセンス CC BY-SA(https://t.co/OV7nMe45DM)の下、創作しました。

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【自由研究】
今日までの完成には至らず…。ウラ面の方が、オモテ面よりも作るのが楽しい。
ちゃんとシールにできるように、引き続きゆるゆる頑張りまーす。

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今日、貝の前立ての兜の写真見てふと。すでにこういうの、考えた人いそうだけど。

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【碇知盛】平知盛は、壇ノ浦の戦いでの敗勢が決定的になると、船の上を掃除し、鎧を二領着て海に飛び込んだとも、碇を抱えて身を投げたともい言われる。平宗盛も同様に海に飛び込んだが、泳ぎが上手くて沈むことができず、源氏方に生け捕られた(平家物語)。

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【河野の後築地】弘安の役に出陣した河野通有は、元軍の襲来に備えて築かれた防塁の石垣を背にして、浜辺に陣取り決死の覚悟を示し、そして勇猛果敢に戦ったという(予章記)。

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【京都火消役】天明の大火の際、火消当番だった丹波亀山藩主・松平信道は二条城本丸こそ焼失したものの、二ノ丸御殿の消防に成功、次いで京都御所へ急行する。禁裏は下馬が原則だったが、信道は下馬札に羽織をかけて押し通り、帝の避難に尽力。これが評判になり、以後緊急時は下馬不要の先例となった。

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【矢合わせ】元軍が上陸し、いよいよと見た日本軍は、少弐資時に開戦の合図の矢を射させた。射手に選ばれるのは名誉であり、初陣でもありして、感動的場面であったが、元軍は銅鑼を鳴らしてドッと笑い、日本の馬は驚き、兵は茫然となった(八幡愚童記)。武士が異文化と接した瞬間の記録ともいえる。

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ご笑納ください。

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