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ずっと、ずっと、ずっと むりをしとんやろ きょうも、あしたも にげられんくて きもちも、やすまらんまま むりしなきゃなんやろ きついね、ほんとにね すこしでもすこしでも できるときにでも きゅうけいしながら やりすごせるといいな 「むりするな」とか むちゃはいわんからね なでなで。
「ああ……くるしかった……ほんとくるしかった。つらくてだめかとおもった。よかった。もうがまんしなくていいんだ。もうだいじょうぶなんだ。よかった。きつかった、きつかった、きつかったよ」 そうやっておもいきり ないてしまうくらい ほっとできるような いばしょがほしいんだよね なでなで。
「みんなこうかんがえよう」 「こうおもえばかわれるよ」 って"きのもちよう"みたいに いわれたりするのが ぼくはすごくすごくにがて こころのなかの とらとうま(とらうま) にきずつけられて まえむきにかんがえたり できなくなってるひとが いたりすることも どうかどうか わすれないでほしい。
わかっとるよね このままじゃいけんことくらい わかっとるよね なんとかせんとってことくらい わかっとるよね ずっといまのじょうたいだと つんでしぬしかないことくらい わかっとるけど どうしてもむりなんよね すきでのぞんで じぶんのいしで こうしとるわけやないんよね なでなで。
「できる」ぜんていのことばは ぼくはものすごくにがて たとえばなにげない 「びょういんにいきなよ」も だれでもいけるぜんていに きこえてしまってつらい だからじぶんがつたえるときは 「もしいけるようなら」や 「むずかしいかもだけど」を かならずつけるようにしてる。
「やるしかない……」 「つづけるしかない……」 そんなくるしい "しかない"を "しかたない"に かえながらすごすのは ほんとつかれるんだよね きりょくがなくなるんだよね 「まじ……なんだこれ」って わらけてくるほど きつくてきつくてきつくて たまらないんだよね なでなで。
さしのべた“て”を 「めいわくかける」とかで ぱちん!ってはらわれても 「たすけようとしたのに」 「なんだよもうかってにしろ」 とかおこったりしないよ 「そのくるしみはたしかに 『ばとんたっち』したよ」 みたいなきもちで うざくならないように でもそっとそっと そばにいるだけだよ なでなで。
このからだぜんぶを かいとってもらって もうすこしだけじょうぶな からだをくっつけて すこやかにいきてみたい それができないなら 「なんかもう……」って こころがくじけそうになる そんなまいにちのくりかえし それでもいきてるぼくは "えらい"のか"むだ"なのか。
いろいろなやんで。むりをしないといけなくて。せかされて。くたびれて。ふと「しにたいな」がうかぶ――そんなこころとからだを。かんたんじゃないのをしょうちで。こじんてきなねがいとして。かってだけど。すこしでもゆっくりと。どうかゆっくりと。やすめるじかんがとれますように。なでなで。
なんのじじょうもしらないで 「いまこうなってるのは これまでのいきかたのけっか」 とかってせめられるたび おいつめられるんだよね きりすてにかんじるんだよね すきでなったわけじゃないのに かんきょうのせいのときもあるのに ぜんぶじぶんのせいにされるなら そりゃしにたくもなるよね なでなで。