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「しにたい」ってはきだしたのを 「ほんとにしぬときはいわない」 だとか 「あれっていきたいからいうだけ」 だとか あくまでもぼくはだけど かってにきめつけないでほしい しったふうにいわないでほしい そのなにげないふかよみが “とどめ”になるときもあるから。
「そとにでてさんぽしなよ」 「なやんだときはねむるといい」 「こうかんがえればまえむきになる」 そういういろいろを "わかっててもできない" だからくるしいんだよね "あれもむりこれもむり" だからくるしいんだよね そこなんだよね なでなで。
「あいてがきずつく」って わかっててくちにする "けなし"っていうのは "ばかにする"っていうのは 「まちがよごれる」って わかっててぽいすてをする "はろうぃんのごみ"とか "おはなみのごみ"とかと にたようなものだよね ぼくはすごくにがてです。
「だめにんげんでごめんなさい……」「いきててごめんなさい……」って、じぶんをせめつづけるくるしさったらないね。ここまできたら「そんなことない」っていわれても、すなおにうけとれなかったりもするんだよね。そしてまた「こういうところもだめだ」って、またじぶんをせめるんだよね。なでなで。
「やすめばいいのに」「はなれればいいんだよ」「こうおもえばいいぞ」って、そんなことはわかってて、“でもできない”から、つらいんだよね。やればいいは「あいてのたちば」に「じぶんのいしきのまま」たってるように、きこえるんだよね。だからよけい、よりそいがないっておもうんだよね。なでなで。
「いいとしをして◯◯ずきなんてくさ」とか「そのとしにもなって◯◯なひとはもんだいがある」とかいわれると、ものすごくきずつくんだよね。それぞれ「このみ」や「じじょう」があるものだから、いくつであってもだめじゃないからね。だめじゃないよ。なでなで。
「するーすればいいよ」「いわせとけばいいよ」ばっかりで、どこにも「それができないからくるしいんだよね」や「するーしなきゃいけないひどいことをいうひとがわるいし、そっちに"たいしょ"させるながれになってほしいね」って、とことんよりそうひとが、いないようなきがするんだよね。なでなで。
「いつかいいことあるよ」 ってこんきょもなくいうけど 「いつか」っていうのは なんとかやりすごしながら "いきてられる"のが ぜんていのはなしであって 「いま」つらくて 「いま」しにたい そんなまっただなかには 「いつか」とか ばくぜんとしたことを おもうのって むずかしいんだよね なでなで。
だれだよ、きみをほめないひとは。だれだよ、きみのひっしさをみとめようとしないひとは。だれだよ、きみをだれかとくらべるひとは。だれだよ、きみをあたまごなしにひていするひとは。こんなにまいにち、くるしみながら、かんがえながら、なんとかやってるのに。やってるのにね。なでなで。
「きにしない」も 「あいてにしない」も ほかにいいほうほうがなくて しかたなくかもしれないけど そういうのをいうまえに 「ひどいことをいう あいてがわるいのにね」って 「なんでこっちががまんして ながさなきゃいけないかね」って なによりもまずめいっぱい よりそってほしいんだよね なでなで。