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あいてを「しばる」だと きゅうくつにさせたり くるしめるだけになって きずつけることにもなるから じしんがないならないなりに すこしでもできることをして できるはんいでおもいやって しばるまでもなく あいてを「くぎづけ」に できるひとになりたいな。
「くるしいことをやめる」や 「いやなひとからにげる」で さもかいけつできるような ことばもおおかったりするけど 「すとれすがなくなった」 になるとはかぎらないんだよね これからどうすればいいかって ふあんにおそわれたりして 「ちがうすとれす」 がふえることもあるからね なでなで。
ぼくはうさぎです ぴょんぴょん。 #エイプリルフール
「ことばのぼうりょく」より「からだのぼうりょく」のほうがだめ――って、ぼくはちがうとおもう。どっちも、へたするといのちをうばうんだよ。「みためのいんぱくと」や「かんしょく」がないぶん、ことばのほうをかるくみられるのは、かなしい。ひどいことばを「じょうだん」で、かたづけないでほしい。
「つらいのはすいみんぶそくがげんいん。まずはしっかりねむるのがたいせつ」って、それがうまくいかないからつらいのにね。なでなで。
「やるきがでないときは、とにかくはじめてみること。はじめたら、やるきはでてくるから」っていわれるけど。 「とにかくはじめる」っていう"きりょく"があるぜんていで、はなしをされてもこまるんだよね。「『とにかく』すらできないからつらい」なんだよね。なでなで。
くるしくてどうしようもなくて 「しえん」をうけにいくとき ただいくだけじゃなくて ・たいさくをねっていく ・くわしいひとをつれていく などをやっていかないと うけるのがむずかしいような しすてむじたいがおかしいし かえていかなきゃいけないって ぼくはおもうな。
「わたしなんて」って いうときがあってもいいよ 「そんなんじゃだめだ」とか ひていしたりしないよ 「なかなかじしんとか もてなかったりするよね」って まずはうなずきながら なんての「て」を ぎゅっとにぎるだけだよ。
「しんどいな……」 ってはきだしたときに 「なにが?」 「どういうふうに?」 ってどんどんきかれたら はっきりわからなかったり きかれるのにつかれたりして 「んーん、なんでもない」 ってだいじょうぶなふりして おわらせたりするんだよね なでなで。
ふぃくしょんでもなく えいがやげーむでもなく 「じっさい」に 「げんじつ」に たたかうことについて ぼうりょくについて そのこわさについて “ぼくなり”のかんがえを あらためてことばにして まとめているところです。