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「ひとにめぐまれてれば、そりゃふんばれるよ」っておもうときもあるさ。「じゆうにえらべるかんきょうなら、そりゃらくになってるよ」っておもうときもあるさ。くらべるいみじゃないけど、"だれもいないしなんにもない"っていうのも、それはそれで、じごくなんだよね。なでなで。
「だれもみとめてくれん」って むなしいむなしいも 「だれもあいしてくれん」って さみしいさみしいも 「だれもたすけてくれん」って くるしいくるしいも もうおなかいっぱいだよね もうじゅうぶんあじわったよね だからどうかおねがいだから ぜんぶぜんぶぜんぶ とおくのほうまでとんでけ。
じぶんがいなくたって、せかいがまわることは、しってる。でも、それはそれとして「あなたがいないと『わたしのせかいは』まわらないよ」って、いってもらいたいんだよね。じぶんがせかいにひつようなんだって、どうしてもいるんだって、おもわれたいんだよね。なでなで。
「こころがやんでやすんでるくせにあそぶなんて」や「びょうにんらしくべっどにいるべきだ」みたいにいわれて、かたみのせまいおもいをすることが、なくなりますように。「そうじゃないんだよ」っていう、やわらかい"りかい"が、ひろがりますように。
ひぼうちゅうしょうがつらいときに「SNSからはなれようよ」っていうのをよくきく。たしかにそれもわかるけど、ほんとは、SNSをはなれるべきは「ひどいことをするがわ」だよね。それが”いま”できなくて、とてもはがゆい。「されたがわが『たのしみをうばわれる』ってながれ」が、はやくかわるといいな。
「じぶんをせめちゃだめ」 っていわれてもこまってしまう どうしてもとまらないとき だってよくあるのに いけないよいけないよって しつこくSTOPさせられると 『そんなにいけないことを じぶんはしてるんだな……』 ってよけいにおいこまれて せめちゃったりもするから。
ぼくにだって どうしてもいっしょう 「ゆるせないできごと」 っていうのがある それにもかかわらず "それほどのことなんだ"って よりそってもくれずに 「ゆるしてらくになろう」 っていわれたときには さすがにかなしかったし しんどくてしんどくて ひとりでないたなぁ。
「いきたくない」っておもうきもちに、ぼくのことばは、やくにたたないかもしれない。ぱっと「いきたい」にかえる、ちからもないし。ただ「ここにいれば『どんなじぶん』もわらわれない」そうおもえるばしょでありつづけることは、できるから。それでもよければ、すきなだけ、ここにいてね。なでなで。
すぷーん1つまがらないのに じぶんのせいかくは 「すなおじゃないほう」に すぐまがってしまう まほう1つつかえないのに ぜんいんがてきにみえて 「みんなきえろ」って すこしおもってしまう そんなじぶんがいやだね なでなで。
「LINEすたんぷ」をかきおえたから、しんせいしてみるね。つかえそうなものができたとおもう。みんな、たのしみにしててね。なでなで🐱