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ホワイトベースのクルーの正規軍人、ブライトが19歳で、リュウが18歳、ジョブジョンは不明だが、カイとタメ語で話しているところから、ほぼ同じ17歳とすると、一年戦争中期の学徒動員世代から、かろうじて免れたのが、当時14~5歳のコウやキース世代だったのだろうと、
コウ・ウラキって、宇宙世紀0064年生まれで劇中年齢19歳で、実はアムロと同い年なのよな。アムロは「戦争に巻き込まれ半ばむりやり参戦」だったが、コウは「MSが好きだったので半ば興味本位で」入隊したお坊ちゃん気質で、いかにも「戦後世代」の若者とも言えた。
「使用前使用後」な変わりっぷりでおなじみの、0083のコウ・ウラキ、なんか実は乗った人間をちょっとずつ強化人間化してんじゃねぇかって思うくらいアレだな。
当たり前の「お約束」、定番の、そして陳腐化した「設定」が崩壊してしまったからこそ、先の読めない世界が始まる。それがゆえに、その中での登場人物たちの選択が、決断が、より胸に迫るものとなった。ここらへんが、この二作が時代を変えた作品だった大きな要因だったのかもなぁと思ったりした。
「Fate」も「ひぐらし」も、ともに同人サークルが作った作品で(Fateは同人ゲームではない)、それゆえか、それまでの既存のゲーム会社の作品とは異なるアプローチで新風を吹かし、時代を作ったとも言える。
だが同時に、その一話のラストで、バナージに「許してほしい」というのね。一話の序と結で、同じ人物が、「許し」を「与える側」と「請い願う側」の二つの顔を見せる、ここにUCのテーマがあったように思ったわけですよ。
UCにも「父と子」は描かれ・・・というか、「父と子」の関係すごく多いのよ。カーディアスの父サイアム、バナージとアルベルトの父カーディアス、リディの父ローナン。ギルボアにジンネマン。ロニさんも父の因果に苦しめられ、ダグザさんはバナージに「息子がいたらあんな感じか」と語る。
ガンダムUCの著者である福井晴敏先生は、富野監督に多大な影響を受け、もはやトミノ信者と言ってもいい人なのだが、その人が描いたガンダムが、従来の富野作品とは大きく異る「父親」の物語を描いたところが、興味深いのな。