//=time() ?>
弟の太郎は勉学が嫌いでダメ弟という設定。実際には弟か兄かは不明。ただし父が「娘が男だったら」と言っていたのは事実らしい。大河の中ではそれを強調する場面が多いが、太郎は藤原惟規となり30代で亡くなる前に従五位下になっているので父より出世が早く、勅撰和歌集に歌が10首も選ばれる才人。
ちなみに今回サロンで遊んでいた漢字の篇と旁を合わせる「篇継/へんつぎ」という遊びは源氏物語の中、葵帖で源氏と紫も遊んでいたメジャーなゲーム。
『光る君へ』
ロバート秋山が演じていた藤原実資はこの時代の役職が「頭中将」なので世間のイメージを大きく裏切っていて良き。
『藤原公任/きんとう』も出てきたけど、この人は文献上で初めて出てくる源氏物語の読者。その日付が1008年11月1日なので、その1000年後にその日が「古典の日」になった。
『知泉源氏』いよいよ明石帖に突入。
感想で「ギャグ漫画風の絵柄で読みやすい」というのがあったけど、マジな話として書いているんじゃけどなあと思って、少し憤慨していたけど、明石入道が赤塚キャラみたいで「やっぱギャグ漫画だ」と思うなり。でもって書いていて楽しい。明石入道が暴走する。
今回の恋文の代筆の歌を書く場面、手元が映ったけれど、そこで書いていた歌は源氏物語の夕顔帖で書いた歌が引用されていた。
漫画『知泉源氏』ではすべての歌を収録しているので、副読本としてもバッチリでやんす。
紫式部と藤原道長は遠い親戚だけど、その祖は大化の改新で有名な藤原鎌足、そのエピソードとして「飛んでいった沓(くつ)」があるので今回の草履のエピソードに繋がったのではないかと。
百人一首にある『契りきな かたみに袖をしぼりつつ 末の松山 波越さじとは』という句に出てくる「末の松山」は東日本震災とほぼ同じ場所で起こった大地震「貞観震災」に由来する言葉。源氏物語にもその語は出くる。古文には歴史の記憶が刻まれている。
篠山紀信さん亡くなられたのか!
昨日、YouTubeで南沙織のドキュメントを見たばかりだったので、結婚した当時の「このモジャモジャ野郎!」という怒りが蘇ったばかりだったのに。赤塚不二夫さんのカメラ小僧というキャラも思い出しながら・・・・
https://t.co/1i9gXDsN3W