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デジタル画材があれば、例えばこれ描くの20分くらいで済むのよな(まあその程度の絵だけど)。塗りバケツ一発、カゲ乗算レイヤー一発。思えば小学校の図工ってそろそろPhotoshopなりクリップスタジオなりを教えたほうが世のため人のためみたいな気がする。アナログでやりたい人は別途どうぞみたいな。
次回「8bit年代記」で、さっき必要に迫られて描いたけど計算上多分紙面では1センチ角くらいにしか印刷されないのでくやしいから貼るチャールズ卿です。
初期のアニメのラムちゃんは明らかにタツノコ文脈上にあるのよな。ここから物凄い勢いで当時なりの、より可愛い目、より可愛い口、より可愛い鼻という風に咀嚼され、アレンジされ、漠然と統合されていった。それが大変スリリングだった記憶がある。
鏡。
オタクにはずっと「仕送りをしょーもないことに使い込んじゃった穀潰し」の印象があった。もうない。みんな使い込むようになったから。未来なんかないとわかっちゃったから。あるいはそうやって誤魔化す術を身に着けたから。もともと託されてたのは、造り手の真摯な未来への仕送りだったのにな。
ここらへんの「車輪の再発明」っぷりが大好物である。技法として大昔からある。しかし誰でも再現はできない。それを制限だらけのドット絵で「あれっ? これができるじゃん」と気づいたときの高揚。多分今やってもこんな風にはならない。平凡になる。わずかなドットの中にでも、絵は心を写すのである。
カルドセプトの絵。2005年。ちょっと新しいゴブリン像が描きたくて、腹を膨らませた「餓鬼のようなゴブリン」を描いてみた。最近のゴブリンはよく餓鬼のように描かれるので多少の影響を与えたやもしれず、他にすでにあったやもしれず。一応記録として記す。
これ全部John Berkey。多分キャリアの絶頂はここらへんなんだろう。どれも一度見たら忘れられない。
中村光毅のメカがどこらへんから出てきたのか結構謎だったのだが、ジョン・バーキーを並べるとしっくりくる気がする。何をした人かと言えばメカデザイナーや美術監督になってしまうのだが、ここらへんのスタイルの確立という点でも記憶しておきたい。
AMIGAに「Disoisable Hero」という横シューがあって、水面の表現がなかなかイカしてるのだけど、パッケ絵がジョン・バーキー(John Berkey)。描き下ろしか流用かはわからん。小松崎茂と同じく、ありそうでなさそうで、実はあるゲームとの組み合わせ。惚れ惚れする。