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ずっと昔堀田善衛が指摘していたように、宇宙戦艦ヤマトの「必ずここへ返ってくると」というのも、そのうちもっと奇妙に感じられることだろう。イスカンダルに残ろうとした藪を当時のガキは皆、裏切り者、卑怯者と感じ、天罰のように死ぬのだが、例えばヤマトが移民の国で作られたらどうだったろう。
「日本のアニメのキャラクターが白人に見える」という話について一点書き記す。これ「白人に見える」というのが「スタンダード(標準的)に見える」という意味なことがある。つまり「標準的な顔として描かれているからにはこれは白人であろう。君たちは違うのだから何か差異があるべきだ」という。
ゼビウスの衝撃が「写実」だったとすれば、グラディウスの衝撃は「様式」だったように思う。それまでゲームの絵というのは質の差こそあれ、表現としての自覚はあまりなかった。表現力の向上と限界が、はじめて「どう描くか」という自覚を促し、単なる写実とは異なる方向性、様式美を生んだと思うのだ。
(今話題になっているポリアモリーを、なんとなく雰囲気で再現してみました)
片眼鏡というのがある。ルパンがしてるアレだ。モノクル(monocle)という。高校生の時にこれを「あれはモノンクルです」といって譲らない奴がいた。何度言っても聞かない。そもそも「モノンクル」という言葉はどこから来たんだと思い、さっきやっとわかった。伊丹十三創刊の雑誌(mon-oncle)だ。
来年のガンダムスタンプラリーは各駅ネタに走って凄いことになってたりしてな。どの駅のスタンプも全くわざわざ押したくないという。
(JRガンダムスタンプラリー) 「それでは、東十条さんはマラサイということで…」 「ふざけるな! 貴様ら東十条をなんだと思っているんだ!」 「マ、マラサイではいけませんか」 「いまさらマラサイ如きに何の価値がある! 我が東十条にふさわしいのは、ドアン! ククルス・ドアンしかない!」
たまに要望がある素材をフリー化して貼っておくので好きに使っていいよ。
「ぼくらマガジン」の表紙では生頼範義が物凄いイラストをいっぱい描いていて、展覧会ではスペースの都合もあって数点が拝めるだけだったと思う。思えば生頼範義のウルトラ画って、あるにはあるけどそう多くない。やはり梶原一騎や永井豪の荒々しいリアリズムがピッタリだったのかもしれない。
「素敵なスダレね」 「スダレじゃねえよ」