今日は、1189年源頼朝が28万の大軍を率いて奥州平泉に来攻した日。藤原泰衡は逃走中に家臣・河田次郎に殺され、奥州藤原氏は滅亡しました。まさに「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」・・でした。
五反田、器

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源頼朝・追記)彼は、弟たちを代官として源義仲と平氏を滅ぼし、戦功のあった末弟・源義経を追放し、諸国に守護と地頭を配して力を強め、奥州合戦では奥州藤原氏を滅ぼしました。その後、建久3年(1192年)に征夷大将軍に。五反田、器

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拙僧今朝の平泉中尊寺金色堂は奥州藤原氏の話ですが、藤原氏といえばせ、どうしても平安中期の公卿、藤原道長公の詠んだ「この世をば、わが世とぞふ望月の、欠けたることのなしと思えば」が脳裏に。藤原一族の栄華を極めた心境が推し量れる。この一首に出会ったは、拙僧が中学生の頃。衝撃を覚えたを。

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城プロの柳之御所さんに白拍子の装いをしていただきました。
奥州平泉といえば奥州藤原氏、金色堂、源義経公に関わりのある地、ですね。
ちなみに『歴史公園えさし藤原の郷』というテーマパークがありまして、私も行きましたが平安時代の雰囲気がお好きな方にはおススメです🙂

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『#ウォーズ・オブ・ジャパン
〜日本のいくさと戦争〜』(偕成社)
p52 奥州の覇者藤原氏を描きました。

この時、下娘がまだ乳飲児で
姫路市に住む母に応援要請するも
残して来た父を心配してご近所が大騒ぎ。
かえって気を使うので、
プロに保育を任せてプロになる決意の
きっかけとなりました。

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ブログ更新しました✨
https://t.co/ekst9gYB24
今回は、ちょうど今が見頃の「藤の花」と「藤原氏」の関係について書いてみました!藤の花の意外な意味や藤原氏の歴史を投影したとも言える藤の花の特徴まで!藤満載です♪

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平泉には、経堂に鎮座する藤原清衡、基衡、秀衡の親子三大の像
そして光堂には、彼らの棺とともに三尊の仏像を安置しています

三代にわたって栄えた奥州藤原氏の栄華も、一睡の夢のように儚く消えてしまった、そんな思いが込められた一節です

平泉の章で奥州藤原氏ゆかりの土地を訪れ回想した句。

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おはようございます中の人です!
本日3月10日「佐藤の日」
佐野の藤原氏…ということでルーツとも言われる藤原秀郷を知って欲しい!というわけでどん!

3月10日と藤原秀郷の関係は弊社の秀郷部隊のブログをどうぞ!

https://t.co/pRuteNL91n




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マフィア化した藤原氏

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さあ前段階にこの事件の布石がどのくらいあったものかよくわかりませんが、急転直下で正に政変。長屋王と、藤原氏との対立構造がよく言われますが、主導はやはり聖武天皇だったと思います。

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藤原清衡と中尊寺ハス。清衡は奥州藤原氏始祖。前九年・後三年合戦後に奥州を掌握した。北方貿易で巨万の富を築き、平泉に浄土を模した黄金の仏教文化を作り上げた。
 中尊寺建立供養願文からは平和を願う彼の気持ちが窺い知れる。
  

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遅くなっていたらアカウント消えてしまったんですがすみません……さくらぎさんのリクで後二条関白師通さんです!剛直でバリバリ政治やってたの強い。#リプ来た藤原氏描く

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こんなタグが流行ってるのか。
いや、藤原なら、やはりこの方でしょう😄
藤原鎌足

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藤原氏の作画資料を大いに参考にしながら、自分でもアカリちゃんの立ち絵を描いてみました。 https://t.co/zayE67WgzL

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私上田バロンは今年で活動20周年を迎えイラストレーター業を選び、大阪ベースで絵を通し自分なりの世界観を自由に作ってこれました。様々な仕事の中で沢山の出会いがあり今の自分を形成してるのだと。KASIKA代表藤原氏も頼もしい仲間でイベント主催も感謝!1日限りの作品展。DJ陣SPゲストも!12/11(金) https://t.co/sDnACwCdlw

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1187年 没。後嗣泰衡は徹底抗戦の遺言に背いて を殺し命乞いするも は許さず 以来の蝦夷政権滅亡。が は各地で生延び駿河へ漂着した一流は 一帯の領主に,が戊辰戦で官軍に殺され離散した由⇒https://t.co/1DdTCCBTnW

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いちにち出遅れましたが、仲良く藤原氏が来てくれましたヤタ───ヽ(〃∀〃)ノ───♪

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奥州藤原氏と冷麺と母なる北上川。好きなものは石と読書、嫌いなものは胡瓜。イマジナリー三陸鉄道のパッとしない駅員。どこぞの生駒山とキャラ被りしまくってる。誰が河童だ💢💢💢💢💢

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【今日プラ:25分】
キャラ:蓬莱山 輝夜

【竹取物語】

今は昔竹取の翁といふものありけり。

・現存する日本最古の創作された物語。成立年、作者ともに未詳。
・作者像は当時の上流階級で平安京近隣に居住した藤原氏の係累ではないと考えられている。
・成立は平安時代初期とされる。

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前九年の役と後三年の役で奥州藤原氏が誕生した。
前九年の役の戦後、清原氏の養子として潜り込んだ
藤原清衡が清原家を乗っ取り、父の仇である源義家を
陸奥支配者の座から蹴落として 父の故郷を取り戻す復讐劇 解説② (画像は角川版)

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