三国時代と脚気

脚気についてもう少し調べてみましたら、三国時代の百年後東晋時代に脚気の症状の記述があり、唐の時代に大流行したそうです。
脚気は俗に「白米病」
ということは、三国時代の長江流域は米産地と言われますが、ほんとに米食べていたのかなぁ?
もう少し調べてみよう。
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【「シン」と読む中国王朝】
「清」→超優等生な異民族王朝
「秦」「新」「前秦」→革新的過ぎる短命王朝
「西晋」→保守的な短命王朝
「東晋」→結構頑張った
「後秦」「西秦」→五胡の群雄
「後晋」→ゴミ扱いされている王朝

※なかなか個性的な面々。

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【司馬紹、しばしょう】
299年-325年、字は道畿。東晋皇帝・司馬睿の子。王敦の乱でKOされた父の後を継いで即位した。密かに王敦排除計画を進め、王敦の乱を鎮圧した。その後は皇帝権力の強化等に努めたが早逝した。寿命が長ければ、東晋はいい国になったと惜しむ声が多くあった。#東晋

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420年:東晋、劉裕に禅譲。南朝宋、建国(南北朝時代、到来)
1405年:鄭和が第1次航海に出発
1789年:マリー・アントワネットらが、民衆に人気のあった財務大臣ジャック・ネッケルを罷免(バスティーユ襲撃の引き金に)
1792年:立法議会が「祖国は危機にあり!」との宣言(フランス革命戦争)

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今日はワクチン3回目。初モデルナなのでちょっとドキドキ。
ポカリと解熱剤と冷えピタを枕元に用意してゴロゴロしようと思う♪
これ読む!

「蓮の暗号」
著・東晋平
出版・アートダイバー

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本日は東晋の簡文帝の命日で孝武帝の即位日です

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【庾亮、ゆりょう】
289年-340年、字は元規。西晋の軍諮祭酒・庾琛の子。東晋に仕え、妹の庾文君は皇帝・司馬紹の妃となった。厳格な政治姿勢が蘇峻の乱を引き起こした。鎮圧後、西府軍を率いて北伐を企図するが、後趙軍に先手を打たれ失敗した。人心掌握と軍事的才能は壊滅的に乏しかった。

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【庾亮、ゆりょう】
289年-340年、字は元規。西晋の軍諮祭酒・庾琛の子。東晋に仕え、妹の庾文君は皇帝・司馬紹の妃となった。厳格な政治姿勢が蘇峻の乱を引き起こした。鎮圧後、西府軍を率いて北伐を企図するが、後趙軍に先手を打たれ失敗した。人心掌握と軍事的才能は壊滅的に乏しかった。

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塩氏の『劉裕』(東晋末期・五胡十六国時代)
主役の劉裕と丁旿のイラスト

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[解説]
正解は3のサルです
中国・東晋の武将で「竹馬の友」の故事でも知られる桓温の臣下が船に乗っているとき子猿を捕まえ、それをずっと追っていた母猿がやっと船に追いついたところで事切れてしまい、その母猿の腹を裂いてみると悲しみのあまり腸がズタズタに切れていたという話に由来します

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司馬家まとめ(西晋、東晋)

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慕容垂と桓沖

淮肥の役の緒戦は晋・秦双方にとって最高格の将帥同士の激突により幕を上げた

と言いたいところだが東晋はこの時点においては桓沖を除くと秦軍相手に勝ちを計算できる将が見当たらない絶望的な状況だったりするので桓沖(荊州)相手に慕容垂らを投入した苻堅の判断は概ね妥当

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東晋の懲りない面々再掲
(王導、庾亮、蔡謨、褚裒)

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殷周東周春秋戦国秦前漢新後漢
魏蜀呉西晋東晋宋斉梁陳隋
五胡十六北魏東魏西魏北斉北周隋
隋唐五代十国宋金南宋元明清
儒家孔子孟子荀子道家老子荘子法家商鞅韓非李斯墨家墨子
縦横家蘇秦帳儀陰陽家鄒衍
名家恵施公孫龍兵家孫子呉子

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北の城門・臨漢門からの眺め。北西の城壁の橋には夫人城なるものがありましたが、誰なのかわからない石像が一つあるだけでした。旅翠かな、と思いましたが、東晋代の韓夫人という方らしいです。

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