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【姚萇、ようちょう】
331年-394年、字は景茂。羌族の部族長・姚弋仲の子。姚襄の死後、前秦に降る。前秦の将軍として働くが、天王・苻堅の怒気にやってられねえと後秦を建国した。苻堅を殺し、関中を巡り前秦と争う。名将・名君の度量は十分だが、苻堅が絡むと途端にポンコツ化した。#後秦
五胡十六国時代の1番の名君とされている、前秦の苻堅。in 自分とこフィルター
光武帝を意識したとのことで若い頃の姿は若干劉秀と似てしまいました。非常に若くして即位してるんですよね…。王猛ノータッチなのが悔やむとこ。引用故事は全部佐藤さんと小川さんからです←
#五胡十六国の日2021
#五胡十六国の日2021
苻堅、桓温、慕容垂という「三人の天下人」がテーマのイラスト(この構図でもう一度描き直したいと思いつつ何年間も放置中)
とりあえず賑やかし程度に大学生の時の過去絵で淝水の戦い直後の慕容垂と苻堅(影)。当時は若く、既にお爺ちゃんの慕容垂の年齢を考慮してませんでした。 #五胡十六国の日2020
#五胡十六国の日2020
ということで淮肥の役の当事者(苻堅と謝安)同士の騙し合いのイラスト
二人とも味方を、そして自分自身の恐怖すらも欺いているという狂気の世界
慕容垂と桓沖
淮肥の役の緒戦は晋・秦双方にとって最高格の将帥同士の激突により幕を上げた
と言いたいところだが東晋はこの時点においては桓沖を除くと秦軍相手に勝ちを計算できる将が見当たらない絶望的な状況だったりするので桓沖(荊州)相手に慕容垂らを投入した苻堅の判断は概ね妥当
落書き苻堅さん(概成)
佐川英治先生が『中国と東部ユーラシアの歴史(放送大学教材)』でも改めて五胡十六国時代を「苻堅まで」と「苻堅以降」とで区分していたけど
この認識がもう少し一般化してほしいなー、というのが最近の願望