遊撃隊士として小出島に布陣、新政府軍を迎え撃つも負傷し民家に身を隠す。やがて残党狩りが始まると民家に罪が及ぶのを恐れ障子に辞世の句を残し自刃。
この句に胸を打たれた松代藩蟻川賢之助の返歌は昭和63年に建立された歌碑の裏に刻まれている。

ほととぎす魚野川辺の夏嵐 永久に伝へよ波騒の声

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長野市県町の元松代藩士の家に四男として生まれた草川信が西洋音楽に初めて触れたのは、母・幾久が箏で弾いた讃美歌でした。

【奇跡の童謡 《夕焼小焼》の作曲者を訪ねて】
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ちなみに、松代藩の試し切りで実力を大いに示した山浦正雄が打った長巻がこちら。

(試し切りの5年前に打たれた長巻です)

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コン!松代城ちゃんなの!計略は【不崩の土手】なの!松代城ちゃんには千曲川と言う天然の堀があったなのだけどそれと同時に川の氾濫で御城が困ったりしたの!松代藩八代目藩主の真田幸貫君は堤防を築いてそれを不崩の土手、と名付けたなの~♪ 

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大坂の武将・偉人と言うことで真田信繁(幸村)です。
大坂の陣で有名な武将ですが、豊臣政権時代は秀吉の馬廻衆だったと想定され、大坂とかなり縁の深い人です。
兄は松代藩祖・真田信之というチートな兄弟です☆

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「……(信濃上田藩の初代藩主、後に信濃松代藩の初代藩主、真田信之!!ついにURRで登場!!身分に関係なく有用な意見は用いようとしていた信之は家臣や領民にも慕われる名君であったと伝えられている)」

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