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「原作と違って理由なく」突然ぼっちがボトルネックで弾き出して、そこから「原作どおり」に曲が終わって客席ダイブして終わる…そんなんが「原作の読み漏らし」でなく「アニメ版独自の解釈」なワケねえだろボケ! 盲信、崇拝…何があっても常にわん!つって尻尾振ってる犬だな
作品として恣意的に見せないところはもちろんあります。フルメンバーはじめてのライブは4バンドブッキングだったのに、他の3バンドは劇中、影も形も1ミリたりとも気配も見せてないんよ。作品の采配を語るならそういうトコ=そうやってなんとなく見て感じるムードを「誘導」する施策を特筆しようぜ…
ただし、このくだりでもアニメ版はデンジが落下したあと、岸辺の講評になってからはよくできてる。原作はいたって淡泊だし、カミシモに支配された漫画表現とのコンフリクトの結果だろう、デンジがドア向かって右側から左側に瞬間移動してるウィークポイントがある
原作漫画では内に落とすように蹴ってます。アニメ版は上下のコマの連続性が断ち切られ「下のコマに繋がるような蹴り方にしないといけない」という要件が抜け落ちて「上のコマだけのアニメ化(蹴られて外向きにのけぞる)」「下のコマだけのアニメ化(内向きに落下する)」をやってそれを無造作に繋げてんの
岸辺が槍を迎撃してるうちに奇襲せな奇襲にならへんやん…階を一瞬で降りられるアニメ版デンジはなぜその行動を「待つ」のか。演技してよくなるまで待ってるの。岸辺がカッコいいとこ見せるターンの邪魔をしないようにムダに待ってるの。
原作では「現実的」な降り方をしてる。人間心理からいっても、ただ上階で漫然(超然と)と待機してるだけでなく、早くから手摺壁の上に昇って待ち、階下やってくる岸辺を見ようとする行動がデンジにあってもしぜんだ。そしてそこから降りてくる。原作の方はぜんぜんおかしなところがない。
初撃の正面からの一発「だけ」は「原作どおり」にギリギリの見切り=最小限の動作で躱してんだよな。原作で大きく描いてあるコマだからふつうに真似する。しかしその先との噛み合わせは頓着しない。そういうとこもやっぱり漫画のコマをブツ切りでしか理解できず「繋がり」が拾えない傾向の産物...
一周目: 優秀な兄を大学に行かすために妹を強制的に働かせる 二周目: 優秀な妹を大学に行かすために兄が自発的に働く
しかしチェンソーマン第二部連載のこの「永遠の悪魔の話を反復してます」感なwデンジのあれはただイイ奴描写ナユタ近況報告なだけでなくて、永遠の悪魔の騒動で描いたネタを拾ってやってるやつよ 「反復ネタなのにそれをまったく意識せずともふつうにそのネタが楽しい」てのがやたらな完成度の高さ…
ほぼどこも「わざわざ奇妙なことせんでもふつうにやればええやん」イコール「原作どおり」になるのがチェンソーマンで…