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でしまいに(自称)斬月のおっさんは消えてなくなって、その水滴ひと粒だけが場に残る。おや?この表現廻し、前段の「Everything But the Rain」でみたことありますね?
アニメ版はこうよ。
で去り際がこれ
もう対峙の初手さっそく雨降りはじめますからね。アニメ版ではもっとはっきり「Everything But the Rainの再演ですよ」として、印象的に繰り返されたスロー雨粒演出をここに投じてる
比喩表現の基本に忠実。過去、雨の中哀しくも落命する母親は太陽に喩えられていた
それまでは気を付けて「お守り」は避けて吸わんようにしてたのに、たまたまこの日家族で宴会やって、したたか飲んでいい気分になって、ふわふわなまま酔い覚ましにベランダで一服しようとしたから、まさに「ついうっかり間違えて」その煙草を手に取ってしまった。そこからの機微は映像のとおり
アキ・姫野パートはみれば観る程注力ぶり、解像度の高さが伺えてほんとピーキーな作品や。「若々しい粗さ」と単純化していいのかどうか。
こいつら別に中華が好みなんじゃなくて、ただ公安の近所、昼休み時間で行けるとこに手頃な中華料理屋があるだけ…出社する日は結構な率で通ってると思われる
これ一度ならず二度しっかりやるんすよ。しかも二度目の遠景での所作がこのヘンな食い方を本格的に作画してる(米ごとしっかり挟めるように、餃子を足場にしていちど箸を持ち替えてる)。これは本気も本気。強い意志をもってさせてるヘンな食い方
いっぽうアニメ版は舞台空間をかっちり決め込んで描写してるんで、トーン統一どころか昼/夜の光景としてムードをがらりと違えて描いてる。メディアの違いによる情報提示量の向上を前提に、そのトーン差でふたつの情景の意味合いを示し分けてるのは良い表現ですよ