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クソだせぇ敵前メロドラマ現象、芝居がターン制になり下がって発生するやつ=時間芸術である映像を取り廻すヘタクソさのあらわれなんやけども、敵がこういう古典的ゾンビやったら問題はないね。11話ここの顔見世のくだりは自陣営と敵陣営の圧倒的彼我戦力差もあって、よく動き充実してる
アニメ版チェンソーマン9話(や3話)について、単体エピソードとしてはふつうによくできてるが原作漫画の前後の繋がりをよく確認しないままやってる気配があると言ってるんだが、こんどは9話この銃撃戦シーンを例示してみるよ
さっきの飛び降り&駆け寄りもそうなんやけど、原作は漫画らしく空間が伸び縮み(主には「伸び」)すんよね。しばしば背景を省略する漫画って昔からそういうもので、そしてアニメはだんだん舞台空間をかっちり決め切るようになってきて、漫画原作の内容を踏襲しようとすると手狭になることも出てくる
原作では全景を見せません アニメ版は狭すぎる、近すぎるw
しかしBLEACH新アニメも最初見るなりちょっとウッってなったからね…カッコいい幕開けになるいのいちばんの開幕バトルなのに、さすがに4枚目の絵はないやろ
が、アニメ版このエピソードは区切りの妙で、一心がウソをつく場面を冒頭とし、真咲とのなれそめ秘話が一心のクチから伝えられ終わるまでが12話本編。その最後にこうくんのよ。綺麗にオチてる
原作と逆に、竜弦が飛び降りて着地したSEより、気を失った真咲が倒れるSEの方がはるかにデカいんよw 効果音の書き文字のサイズはただ音量に比例するものでなし。前者は言ったように「いかにも二階から飛び降りたような音」にし、後者は「力なく倒れる」ニュアンスのために控えめな書き文字で示される
とうぜん、こういうところも…
BLEACH12話。漫画のアニメ翻案はじつに安定したもの。またもこういうページの繋ぎは…
たとえば(こんなん言わんでも「些細なこと」やで?)11話の天使の悪魔、靴に血が着くことを嫌がってるのに、まだ血がしたたってる生首を無造作に抱えてしまう。これは原作からそう。