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『太平記』では鎌倉滅亡後に高時から諏訪家を通して時行に渡され、中先代の乱の後に時行の偽装死体が手にした鬼丸を義貞が手に入れた…とありますが、別の話では鎌倉滅亡時に義貞が既に手に入れてたとか、後醍醐天皇に渡されさらに結城宗広に下賜されたとか所有者がバラバラ #逃げ若 #逃げ上手の若君
元は試し斬りで髭まで斬ったことから「髭切」の名前だった 頼光四天王の渡辺綱に貸し出され、一条戻り橋の鬼(茨木童子とは別の鬼とされる)の腕を斬り落としたことで「鬼切」へと改名 『太平記』では頼光の父・満仲が戸隠の鬼を斬ったことが由来とされ説話によって異なる #逃げ若 #逃げ上手の若君
『太平記』によると第5代執権北条時頼が夢に出る小鬼にうなされていると刀の化身を名乗る老人が現れ刀の手入れを要求 時頼がそれに応じ、刀を抜き身のまま枕元に立て掛けると刀は倒れ火鉢の足を切り落とす その足は鬼の首であり、以降悪夢は醒め、刀は「鬼丸」と名付けられた #逃げ若 #逃げ上手の若君
【Tips】鬼切安綱 源氏重代太刀であり、現在では「重要文化財」に指定され北野天満宮に所蔵されている 『太平記』によると坂上田村麻呂が鈴鹿御前との戦いに使用して、その後伊勢神宮に奉納 さらにその後に伊勢神宮に参拝した源頼光が、夢のお告げに従い受け取ったという #逃げ若 #逃げ上手の若君
【Tips】鬼丸国綱 北条家重代宝刀。天下五剣の一つ。現代では皇室の私有財産である「御物」に分類 五箇伝の内の「山城伝」に属する粟田口国綱の作刀 国綱は承久の乱で隠岐に流された後鳥羽上皇のお抱えで、幕府の勧誘を断っていたが上皇が崩御してやっと招きに応じたという #逃げ若 #逃げ上手の若君
さらに新田義貞討ち死に後に鬼丸と鬼切を手に入れた斯波高経が、尊氏に渡すのを渋って焼いた偽物を渡したともされ、さらにややこしさを助長させている 「鬼丸」はその後足利将軍家から信長、秀吉、家康の手に、「鬼切」は最上家に伝来したがさて本物だろうか? #逃げ若 #逃げ上手の若君
「鬼丸」は北条得宗家のものでしたが、鎌倉滅亡時に義貞が奪ったとされるも『太平記』では諏訪家を通じて時行に渡され、中先代の乱終結後に時行の偽装死体から義貞に渡ったと書かれ差異がある 別の記録では後醍醐天皇のものになり、1336年に結城宗広に下賜されるなどバラバラ #逃げ若 #逃げ上手の若君
【Tips】鬼切と鬼丸 源氏重代の太刀として有名な剣であり新田義貞が両方とも所有していたとされるが伝来に諸説あり、特に「鬼丸」は結城宗広や北条時行も同時期に所有している 何なら「鬼切安綱」も「鬼切丸」略して「鬼丸」と呼ばれることもあるため、本当にややこしい #逃げ若 #逃げ上手の若君
この複雑怪奇な時代において新田義貞のこの単純明快な生き様はあまりに鮮烈で眩い そして彼の野生の本能から発せられた「下剋上」「実力主義」「地方の自立」の思想は確実に次代の戦国時代へと引き継がれている 新田義貞は獅子奮迅の戦いぶりを以て歴史に名を残したのです #逃げ若 #逃げ上手の若君
ただこの「新田は足利より格下」という歴史の流れを見ると「新田義貞は誰のために戦っていたのか」という特大の「?」の回答が見えてくる 新田義貞が第三勢力となってまで抗い戦い抜き示したかったのは「新田は足利より強くて偉い」という至極単純な証明、要は「下剋上」です #逃げ若 #逃げ上手の若君