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赤髭公ばるばろす。さんのイラストまとめ


戦国歴史と三好長慶と史跡を愛するおっさん。怖がりで恐怖画像や動画は苦手なのに怪談は大好きな変わり者。バース掛布岡田以来のライトな虎党。WWF時代のアメプロファン。
 ハイエース乗り。昔は車中泊好きだったが今は旅行する気力もない。
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前田慶次「月並みな台詞であれだが“運が尽きた”のだろうな
浅井朝倉本願寺と包囲網が綻び、越後の龍も死んで北条も手切れで家臣に配当も出せぬ、では信玄公でもウォーレン・バフェットでも立て直せぬよ」

武田勝頼『それ、信長にも言われたなあ
久遠寺で御神籤でも引くか』
明智光秀「意味ないぞ」

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永禄十三年(1570年)五月三日

“織田弾正忠殿(信長)を訪問、林佐渡守の取次で徳川家康・畠山高政・松永久秀殿と逢う。話合いの仔細説明を受け、徳川殿他三名に飯が振る舞われる”

徳川家康「言継卿も御健勝で何より(もぐもぐ」
松永久秀「ささ、一献」
山科言継『お、おう(なんだこの面子)』

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明智光秀『そうならぬように上杉景勝殿や毛利輝元殿と書状を交わし、公方様をお迎えして大義名分を得ようとしたのだが…信長の首を晒せなかった事と時間が足りなかったこと、あとスマホが無かったのが間違いの元だったな』
斎藤利三「信長の首さえあれば与力達や北条氏政も翻意して徳川家康に…ん?」

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山科言経『(呼んで)ないです』

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天正七年(1579年)五月二日

“藤宰相(高倉永孝)が香薷散(暑気中りの薬)を所望し一包送る。
前右府殿(織田信長)に祇候、父・言継死後も山科家領に別儀無しと決を下された礼を述べるが、
「顔に腫物が出来た」
との事で対面しないとの事だった”

山科言経『最近、病人が多いなあ…桑原桑原。』

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十河一存『長慶兄者は阿波芝生城で生まれたらしいから四国勢で問題無いとは思うが…四兄弟揃いも揃って四国の外で死んでるのが何とも言えんな』

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天正四年(1576年)五月一日

“安土から上洛した右大将(織田信長)を近衛殿(信尹)ら廷臣公卿衆が妙覚寺に祇候し祝賀を述べるが、右大将が

『草臥れた』

と言うので対面は近衛殿のみとなり、少数の公卿以外は皆帰った。”

織田信長『…儂が上洛しただけで雁首揃えて挨拶に来んの止めろ!』

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永禄十三年(1570年)四月三十日

“夜十一時頃、織田信長が越前攻めから京都に帰ってきたらしい。
武家奉公衆の松井康之殿が越前で怪我をしたらしく、愛州薬(火傷や打ち身の薬)が欲しいというので一包処方する”

山科言継『弾正忠殿も運が良い、鰐口を逃れなされた
はい、愛州薬。御大事に』

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武田信玄『長尾だな』
北条氏康「確かに長尾だ」
上杉謙信「うるさい!伊勢の癖に!」
武田信玄『ボケたのか?彼は北条だが』
北条氏康「北条だが」
上杉謙信「もうやだこいつら!」

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