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いっ‐こう ‥カウ【一向】
① 一つに専念して他を考えない意を表わす語。ひたすら。いちずに。いこう。
② 物事が完全に一つの傾向にある意を表わす語。全部。もっぱら。たいそう。むやみに。
一向一揆…①ひたすら一途に一揆
②もっぱら無闇に一揆
本願寺顕如『えっ』
#あながち間違ってもない
@nobutoyo_tenkyu @raisoku_123 本願寺顕如『南無阿弥陀佛(意訳・助けて阿弥陀様!)て唱えたら大概の事が解決するうちとはえらい違いだ』
多聞院英俊「お前んとこは単純明快すぎるわ、そら一向宗ってDisられるわ」
浅井長政「さみ対馬守、貴様!」
石田三成「か座直保、気は確かか!」
織田信長『け智光秀…か、金柑頭めやりおったわ!…是非も無し』
#ヤマもないしオチも弱いがどうするんだシリーズ
#意外と知られていない戦国時代小ネタ
戦国武将にも“キャリア”と“ノンキャリ”がある
『戦場の最前線で白兵戦して敵の首を掻っ切り、帰還して首実検で手柄と認めて貰い出世した者』、「端から大名家大将家の生まれで帝王学を学び、合戦の指揮を執り家臣の手柄を首実検で評価する」者に大別される
永禄十二年(1569年)閏五月十一日
“曼殊院覚恕(後の天台座主)の御屋敷が屋根を葺き替えたとの事で挨拶に出向く
次いで甘露寺経元を訪ね、改元などについて話し合う”
山科言継『三好匠作殿の決めた永禄もはや十二年、そろそろ…え、近くに破れ奉行来てるの?』
#言継卿記 #たぶんその速水右近じゃない
元亀二年(1571年)五月十日
“真如堂蓮光院(足利義輝の菩提所)に招かれ、来る十九日の義輝七周忌について話し合う。儀式の音楽については四辻家(家業が和琴・箏)に申し渡す。”
山科言継『まあ、奇天烈な公方様でしたが…京雀達の人気は今も上々な事てすし、御弔いして罰当たらんですやろ』
#言継卿記
#意外と知られていない戦国時代小ネタ
上杉謙信は備前長船長光と景光、織田信長は備前長船光忠の蒐集家
信長所蔵の“実休光忠”は長船派に合わぬ波紋が特徴で、三好実休が久米田で討死した際に太刀打ちした痕跡があったとされ、信長が本能寺で最後を迎えた折にも所持していたと伝承されている
#意外と知られていない戦国時代小ネタ
徳川家に祟る妖刀としてお馴染みの“村正”だが、村正は伊勢桑名の刀工なのでもともと業物が伊勢湾岸国に広まっており、家康も没後の形見分けで初代千子村正を所蔵していた事が判っている
また、本多忠勝の槍で名高い“蜻蛉切”も村正作である
本多忠勝「大殿が内大臣職を拝命し“内府”と通称される様になりましたが、実は読みが“だいふ”だと聞き及んだのですが」
徳川家康『左様。正しくはだいふだ
…しかし、儂としては“ないふ”が良いな』
「何故でございます?」
『…“私はナイフ”っていう鉄板のネタが使えなくなる』
「」
#工藤静香