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#武田クラスタをどこまでイラつかせられるか
徳川家康『昔は凄かったかもしれんが、今は将軍家の弟が当主やってる一分家に過ぎん』
#なお無事に断絶した模様
#武田クラスタをどこまでイラつかせられるか
豊臣秀吉『所詮、近畿のキの字にも触れなくて謙信と十年以上無駄な合戦してた田舎大名ですよね?』
#佐野了伯に似たような事は言ったという逸話があるから困る
@dousetumiki 三好実休『丈六寺の血天井は明らかな手形痕が見られるなど生なましい乱世の名残を伝えるものだが…
おそらく血天井で唯一であろう、屋外(庇)にあるため色褪せや劣化が酷い。
寺は築地の壁も修繕せぬ有様であるし、皆が在世中にもなくなる可能性がある
まだ見てない者は、早くて行った方がいいぞ』
#意外と知られていない戦国時代小ネタ
毛利元就には異様な眼力があった
吉川元春家臣・香川春継の孫が著した『陰徳記』によれば
“眼の光は日月両輪の如き煌めきで恐ろしいほど、二度視線を合わす事は難しい”
とあり、世良家所蔵の伝毛利元就自画像の眼も眼光がかなり鋭い
#明らかに堅気の眼じゃない
天文十八年(1549年)六月二十四日
摂津国江口で細川晴元・三好宗三連合軍と対峙していた三好長慶軍が淀川を渡河し強襲を敢行
兵糧が尽き戦意喪失していた細川方は脆くも崩れ、宗三は城を脱出するが長慶方が捕殺、細川晴元は京都嵯峨に逃亡する
細川晴元『これで勝ったと思うなよ!』
#足利季世記
“人間お一人様が二千四百円”という驚異の相場は永禄九年(1566年)、常陸小田城の合戦後に上杉軍が開催した人市で付いたという
この年は関東ほか東日本が不作で食糧事情が困窮したせいか値が付かず、“維持費”や“減価償却”を嫌った上杉軍が叩き売りしたと考えられる
#一貫文8万円換算 https://t.co/hxrabDfSLy
北条氏康「世に“早起きは三文の徳”と言うが…三文とは幾らだ、長尾」
上杉謙信『ざっと見積もって二百四十円だぞ、伊勢』
「…寝ていた方がマシだな」
『…そうか?我が領内なら、都合十回も早起きすれば人が一人買えるんだが』
「…戦国乱世とは業が深いな」
『そうだな』
#意外と知られていない戦国時代小ネタ
京都の事を“洛中”と言うが、それは現在の上京区・中京区・下京区北部の範囲内で、それ以遠は“洛外”になる
東山区や左京区、南禅寺あたりは既に洛外で、当時だと来ても上洛・入洛とは判断されなかった
尚、“洛”とは後漢王朝の帝都・洛陽(らくよう)を指す
#意外と知られていない戦国時代小ネタ
江戸幕府将軍家の直轄領…約400万石、佐渡など金山地を含む
豊臣秀吉の直轄領…約222万石、佐渡や出石など金銀山を含む
室町幕府将軍家の直轄領…応仁の乱後は無いに等しい
足利義輝『無理ゲー過ぎる』
山科言継「たからってうちの荘園横領すんなし」
@nobutoyo_tenkyu 馬場信春『御教授、恐悦至極
ならば先祖代々の通字か…と思いきや教来石は通字が“政”の様ですな
見栄と誤謬満載と名高い寛政重修諸家譜では代々、弟?(初耳)まで信字ですが』
山本勘助「一次史料が私並なんですから、深く考えるだけ無駄ですよ」
馬場信春『止めろ、儂を伝説sideに誘うでない!』