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天平九年といえば疫病流行、その原因なのではとされる遣新羅使のメンバーなのですが、大使の阿倍継麻呂は津島(対馬)で死亡、副使の大伴三中は病ですぐには帰京できませんでしたがこの後回復したようで三月に天皇に拝謁してます。三中はその後十年以上は生きてるよ…大伴の体力と藤原四兄弟ェ…
好読経史!解属文!容止温雅!の我らが粟田真人執節使の遣唐使が発足です!!遣唐使はこの回からがターニングポイントですね。ちなみに出発は翌年までズレ込んでいます。山上(山於)憶良の名前も見えますが、同族の粟田真人による推挙?という説もあるようです。