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天平十七年九月四日 知太政官事兼式部卿從二位鈴鹿王薨。高市皇子之子也。 てことで今日は鈴鹿王の忌日でした。 兄があんな最期で何を思ったのか…と思いつつ兄が居たらここまで皇親の重鎮になってたかわからんしなという複雑な思い。(同じようなことを毎年言ってる気がする)
それゆえに、こんな教訓遺された泉ェ…ってなったので泉のこと考えてしまった。そんで「父親がすげーから赦したるわ」って桓武に言われる人生… (結局あんまり赦されてないし)
今日 #くつの日 らしいです。 #皇太子中大兄
同年同日記事でどちらも元明天皇から元正天皇への譲位の記事ですが、前者は元明紀での元明天皇の詔、後者は元正天皇の詔です。そして霊亀改元。材料が色々揃った、という感じの氷高内親王の即位だったと思われます。 (最新の氷高ちゃんの絵が旅人付きなんで併せて推しておく)
すぐれたはかりごとは遠大で、全容に接しえなかったけれども、死後に残した立派な仕事は、なかなか盛んなものである。時に年は(欠字) 最後の欠字が惜しまれるのですが、ベタ誉めなので懐風藻の撰者の思い入れが深いのかと思ってしまう… で、石上三代の中では一番美形のつもりで描いている人。
泉を描いたのでシリーズ的に吉備父子。 人間性に問題アリな泉、しかし段々と同情してきている… 「学者の家の子だから幼少から学才がある」と評判だったらしいけど(そこがもう既に重い)どういう教育受けてたのかしら…
8月30日はネタがあまりないのでハッピーサンシャインデーという「ハッピー(8)サンシャイン(30)」で「太陽のような明るい笑顔の人のための日」なので毎年恒例の皇子選おいておきますね
日付変わってあまり意味がなくなったけど八月二十八日に大学頭が山部王から吉備泉に替わったという宝亀元年ね記事があり、泉かーと思って泉描いた。 真備のようで真備でない感じを目指してこうなった。
毎年毎年「大伴家持死」が刺さる…!! 続日本紀で他に個人の訃報記事で「死」が使われてるの玄昉とか道鏡レベルなのでは?!20年くらい後に復権するまではこの辺りと同列か… 父旅人の忌日からおよそ一ヶ月後なので季節のうつろいも感じる家持忌日。
今日はあの白村江の戦いの日でした。 一日で終わったわけではないけど、誰もが知ってる有名ジャパン大敗回。 国が滅ぶ時はこういうもんか…みたいな百済と、状況ちゃんとわかってましたか??みたいな日本の日和見的戦術で負けたようです。友情出演で豊璋入れといた。 #皇太子中大兄