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天平七年も疫病流行の年で、九月に同じ天武皇子の新田部親王が薨去したばかりでした。
先日平城京の左京三条三坊六坪に当たる地の邸宅跡が舎人親王邸かも?とあったのが記憶に新しいです。
みんな大好き有間皇子の二大フレーズといえばこの「天と赤兄知らん。吾全ら解らず」と以下の歌ですね。
家にあれば笥に盛る飯を草枕
旅にしあれば椎の葉に盛る
前年九月に発足、任命された大使藤原清河、副使大伴古麻呂の天平勝宝度遣唐使、一年以上経って新たに吉備真備が副使に任命。この段階で副使の真備は大使の清河より位階が上で副使二名も異例です。この段階での任命は何か元の二人だけでは不安要素があってのことでしょうか
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でも真備はこの右京大夫時代の天平二十年に釈奠の儀式を改定した件に関わってるようなので要所要所では能力を求められてる感じ。
仲麻呂F…(大学のことならばこの人もノータッチではないのでは)
後日になって事後報告されるのですが、天平十二年十一月一日は九月に反乱起こしてここまで頑張った藤原広嗣(と、弟綱手)が斬刑となった日です。
広嗣も登場の京都祭神ネタのまんが再掲しときますね。