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迂闊にも、この図像がリプリーの『Scrowle』(1588)
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の部分の焼き直しであることに気づかなかった。
リプリーの『Scrowle』は、別々の図像を縦一列に並べたため、あまりにも縦に長いので、ユング『心理学と錬金術』も5部に分けて採録している。
XXXIV「沐浴で孕まれ、気中に生まれ、赤くなる水と水の上を歩む」(左図)。
XLV「太陽とその影が業を完了させる」(右図)。
このように、即自的に太陽は右、月は左というのが常道である。
最近、八坂書房から邦訳が刊行された『逃げるアタランテ』にも、太陽と月の図像が4葉登場する。
XXV「龍はその兄と妹つまり太陽と月に殺されるのでなければ死ぬことはない」(左図)。
XXX「太陽は月を必要とする。雄鶏が雌鶏を必要とするように」(右図)。
「ゴルディアスの結び目」はアッリアノス『アレクサンドロス大王東征記』第2巻3章に出るが、マケドニア王ピリッポスの「情緒不安定」で「誇大妄想家の息子」が、知的遊戯を愉しむ余裕もなく一刀両断してしまったので、どんな結び目であったのか永久にわからなくなってしまった。
ヘーラクレースが苦闘して倒したレルネー沼沢地の怪物の名ヒュドラー(Ὕδρα) は、単に「水の怪物」の意にすぎない。なぜそれですんだかといえば、地中海地方にはウミヘビがいなかったので、区別する必要がなかったかららしい。
図はギュスターヴ・モロー。
ひとつは「musk rose」学名もそのままRosa moschata(左図)。もうひとつは「ムスカリ( grape hyacinth)」学名Muscari botryoides(右図。普通に知られるムスカリとは異なるようだ)。
匂いを嗅いでみたいとは思わない。
@newTiDu11 おもしろい!
「鹿」と「雨」(ないし水)との関係がこれだけ揃いながら、決定打が見当たらないのが面妖……。
図は浜田葆光「水辺の鹿」(1932)。画題にもなっている。
リシュヤシュリンガ伝説の骨子は以下のごとくである。
①ある仙人が漏精した水を飲んだ雌鹿が、人間の男児を産んだ。彼の額には鹿の角が1本(ないし2本)生えていた。
②件の仙人のもとで彼は苦しい修行をして仙術を体得し、→
雨乞い呪術の最高祭司者としての地位は、その呪術が効かない(つまり御しがたい災害が起こった)ときは、決して安泰ではない。そのことは、インドの一角仙人の伝承が明らかにしているし、フレーザーの大著はまさしくそのことを解き明かそうとした。
図は『金枝篇』初版の口絵。
すなわち一方では、神の似姿として創られた人間と……動物という被造物を、できるかぎり明確に対立させなければならない。けれども他方では……人間と動物の間の……類縁性などについての、多少なりとも拡散しがちな感情が……感じられる」(『ヨーロッパ中世象徴史』)。