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@lastqween
これは飛躍しすぎました。瀉血には血管を切開するほかに、吸い玉や、蛭に血を吸わせるなどの方法があり、その場合は、当然、風呂屋の方が便利。
風呂屋では図(『中世ヨーロッパ生活誌』1)のような女性が侍るとなると、当然、風呂屋はいかがわしい場となります。
もとは、あのオークの葉擦れの音を聞いて託宣したというドードーナの大地母神であったろう(グレイヴズ)。B・ウォーカーに依れば、3人の名はゴルゴーンよりも恐ろしい「戦闘を好む者」「スズメバチ」、「恐怖を与える者」と。
図はエドワード・バーン=ジョーンズ(1882年)。
→おまえは巧みな呪文でたびたび私に恋の喜びを思い出させて、夜の暗闇に隠れ悠然と、おまえの好きな魔法の仕事をしたものだった」(アルゴナウティカ第4歌59-61)。
背景にはセレーネーとエンデュミオーンとの恋の伝説があるが、「おまえの巧みな呪文」に古註はこう註する。
シビュッラの託宣については「シビュラの託宣・序」(OCDの解説を訳出)
https://t.co/4eIbARoRqi
を参照。また、現存する託宣集・第1巻〜第8巻の訳も。
図はミケランジェロが描くデルポイのシビュッラ。(このように、「どこそこの〜」と言われる所以も解説でわかる)。
しかし、ウォーターハウスの試みは彼に始まったことではない。そもそもエリクトーの「おぞましさ」は、彼女の呪法がνεκρομαντεία(necromancyの語源)であったことに起因しよう。「冥界の神々の寵児として、彼女は亡霊たちを追い払って墓地を占拠し、人気ない墓場を住処とした」
要するに「魔女」というのは、男が考える「女らしさ」というものを悉く逆転させた表象といえる(左図)。
ところが、それをもう一度逆転させたのがウォーターハウスである。右図はその「メーデイアとイアーソーン」。
魔女メーデイアの故郷はコルキスΚολχίς(現グルジア→ジョージアあたり)だが、アイソーンに若返りの術を実修するに当たり、薬草を故郷に求める必要はなかった。その様をオウィディウスはこう歌う。
「彼女は空中高く舞いあがった。テッサリアのテンペ渓谷を眼下に認め、→
→そして大地の女神ヘカタ〔Ἑκάτη〕さま、御前では犬たちさえ震えます。/死者の墓と黒い血の間を通って来られるときに。/ごきげんよう、恐ろしいヘカタさま、最後まで私をお導きください」(テオクリトス『牧歌』第2歌)。
図はマクシミリアン・ピルナー「ヘカテー」(1901)
扶桑(樹)が現実の何に当たるかは明らかでない。仏桑花(ぶっそうげ)というの説もあるが、「生命の樹」(でなければ「世界樹」)でなければおかしいから、当たらない。桑は希臘語でμορέα (Morus nigra)。バビュローンを舞台にピューラモスとティスベーの悲恋伝承がある。
→ゼーノドトスに依れば、或る人々によってイユンクスがミンタだと謂われ、ペイトーの娘にして、ニンフのナーイアスだ、と。アリストクレースは『ギガースたち』の中で、彼女にまつわる神話が造形されたのは、この植物が蔑ろにされているのが見出された故、と」。