//=time() ?>
「馬も驢馬も霊魂を運ぶ役割を持っている……人間の世界ではないところ、人間を超えた世界に霊魂を運ぶもの、それが驢馬の本性」(『動物シンボル事典』)ということは既に触れた。
「実際にはオリエントの男は……決して驢馬の後ろを歩いて行くなどということはしない」。
また、エルサレム入城をはたしたイエスを運んだのは「バラームの牝驢馬」だとされる。モアブ王バラクの依頼で、イスラエルの民を呪うために出かけようとした霊能者バラムの乗った驢馬は、行く手に剣を持った天使を認めて、進むことを拒否したという(民数記22章)。
[メモ]Τυφώνは、これまで少なくとも3回出てきた。
①エリファス・レヴィ『大いなる神秘の鍵』『高等魔術の教理と祭儀』祭儀篇p.293(左上図)右下図は、そこでレヴィが「エッティヤのカバラ」と揶揄
②ウェイト版「運命の輪」(右上図)
③パラケルススに関説して(左下図)
蛇崇拝の痕跡は旧約聖書の中にも辿ることができる。モーゼに率いられた一行は、苦しみに耐えかねて不平を言った。神は怒って炎の蛇を送ったので多くの死者が出た。モーゼの執り成しで、青銅で蛇を作り、この蛇を見たものは炎の蛇にかまれても命ながらえた(民数記21章4-9)。
形が神に似ていることは「被造世界における人間の特別な地位と役割を示しこそすれ……人間に実体として加えられた神的もしくは霊的要素ではなかった」。πνεῦμαも元来「動物も共有する生命の源泉であって(創世記7章22節)「神的もしくは霊的要素ではなかった」(月本昭男)。
グノーシス思想のような発想はどこに淵源するのであろうか?
旧約聖書の神は、人間を大地の塵(=粘土)から、神の形に似せて造形し、その鼻に「いのちの息πνεῦμα 」を吹き込んで生きるものとなしたという(創世記2章)。
物質変成には色の変化も重要である。図はウァレンティヌス『十二の鍵』(1678年)。双体(男と女)を中心とする四位一体の鳥は、上の黒い鳥(カラス)から左廻りに白い鳥(白鳥)、多彩な鳥(孔雀)、真紅(ないし紫)の鳥(フェニックス)はそのまま錬金術処理の段階を示す。
錬金術についてよく心得ておくべきは、彼らが用いる鉱物は(精錬技術の未熟さ故)必ず不純物を含有していたということ。だから、同じ手順を踏んでも同じ結果にはならなかった。これは科学実験としては致命的欠陥である。この欠陥を彼らは精神論で克服しよう(できる)と考えた。
「三という数は決して全体性の自然な表現ではない。……普通は、四という数が全体性を云々しうる最低条件だから。……錬金術(及び無意識)には四要素構成への顕著な傾きが見られると同時に……三と四との間を揺れ動く不安定が存在しており……繰り返し前面に現れてきている」。
パラケルススの胡散臭さの象徴のように言われるホムンクルス(Homunculus)の製造も、もともとはアラビア錬金術の問題提起に対するパラケルススの応答であったと考えられる。
William Newman「ホムンクルスとその祖先:術知と自然の不思議」https://t.co/FzDmtE2RgN