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いわゆる「コロンバージュ」と呼ばれる伝統的建築は、当時(中世)の都市の様子がよくわかるロレンツェッティの『善政の効果』や、初期ネーデルラント絵画の都市描写には殆ど見られない
木枠むき出しの家の他にも、漆喰で補強した家も多くあったのだろう
馬と人間の大きさの比率に関しては、確かにパオロ・ウッチェロの絵が一番正確かもしれない
あとマチェヨフスキ聖書も人馬が結構写実的
人間の足先が馬の腹からはみ出るかはみ出ないかギリギリの所が当時の馬の大きさだと認識してる
これは前も言いましたけど、人を殺すための訓練を受けた人々が甲冑に身を固め長大な弓や槍を携え、ちょっとデカいポニーぐらいの筋骨隆々の軍馬に跨り時速30~40㎞でこちらに迫ってきたら、果たしてどれだけの人間が怖気づかずに立ち向かえるかって話なんですよ
ブルゴーニュ公シャルルはシャロレー伯時代のモンレリの戦い(1465)で敵兵に喉を斬られるというエグイ重傷を負っているのだが、そのまま戦い続けて戦闘後には瀕死の兵士に「お前大丈夫か?」って治療薬飲ませる余裕ムーヴをかましていて軽く人間やめてる感がある
「中世の騎士同士の戦いは身代金目的で命はとらないスポーツのようなもの」とはよく言われるものの、「騎士道精神の最たるもの」とされる30人の決闘でさえ、戦死者15人それ以外は皆重傷という大惨事なので、彼らがやってるのは「スポーツ感覚の殺し合い」の方が近いのかもしれません
15世紀頃には投石機に代わり、陣地構築と共に遮蔽物が取り付けられた砲が用いられるようになります
カスティヨンの戦い(1453)では野戦陣地の構築、大砲と騎兵を合わせた用兵により、イングランド軍に勝利しました
この頃には砲を扱う砲兵達への注目も高まり、"砲兵隊"としての組織化が進みました→
スイスのパイク兵(左)とブルゴーニュのパイク兵(右)
防具に大差はないが、ブルゴーニュのパイク兵は軍令により左腕に盾をつけていた
これは恐らく、パイクを構えた際に剥き出しとなる左腕を守るためだろう