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子供のころ、「7月7日は、織姫と牽牛が、一年に一度だけ会える日なのに、梅雨なんて、かわいそうや」と思った。
でもこれは現在の太陽暦で考えるから。
源頼朝と北条政子が結ばれた安元2年、1176年7月7日は、
太陽暦・グレゴリウス暦だと8月20日。まず雨は降らなかっただろうな。
不思議なことに、彼女は、僕が見たピンクのコートなんか持っていないと主張した。
ぼくは意地になって服を全部見せてもらったが、確かにあのコートはなかった。結婚40年たったいまでも、コートの柄、ベルトまで憶えている。
逆に、これは異常な記憶かもしれないと気がついた。
僕は有楽町の、彼女は田町の、別の会社に通勤していたので、帰りが一緒になるのは不思議な偶然だった。
最初に挨拶したときは、ヤバい奴と思われたみたいで避けられたが、そのうちに悪意はないと見て、話をしてくれるようになり、交際するようになった。
先輩から問い合わせがあった。
「ポーの一族」にも出てくる紅ロシア、現在の白ロシアの名は、易経から来ているというのは本当か?
僕は「中国由来の可能性はありますが、易経ではなく「礼記」だと思いますと返答した。
あらためて「ポーの一族」の深い歴史設定に敬意を表する。
@PeterYokoyama おっしゃる通りだと思いますが、根本を考えると、7世紀に日本語表記に中国から漢字を借りたのは良いとして、なぜ中国の文法を千年も使い続けたのか、不思議です。
ようやく国学が発達してくるのは18世紀ですものね。
学生のころ「信長は神も仏も信じない合理主義者だった」と教えられた。
でも『信長公記』とか、18世紀の『摂津名所図會』で「信長は神社仏閣を壊したが、天照大神、牛頭天王、八幡宮…には手を出さなかった」なんて読むと、信じた神仏が違うだけやん、と思う。
『陰陽道もお金は大切』
平安時代、賀茂保憲は弟子の安部清明に天文道を、息子の光栄には「暦道」を継がせた。
そりゃそうだ。暦(こよみ)は全国で需要があるし、作れば売れる。
天文は数学の才能が必要なうえ、朝廷に金がないと収入が途絶える。
俺だったら絶対「暦道」を譲ってもらいたい。