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月岡芳年「一魁随筆/淀之君」(明治6年/1873年版行)大坂落城の際、自害直前の姿を描いた作品ですが、江戸期には太閤記など元亀・天正以降の武家に関する出版は幕府の出版統制で禁じられており、淀君に関しても直接描くことは出来ず、明治に入りようやく実名で描かれたものです。 #どうする家康
信州で採集されたという、作者不明の騎乗する養蚕神さん(頭部に蚕蛾と桑の葉)と三匹猫の肉筆画のマクリを入手。猫はそれぞれ蚕を食い荒らす鼠、蚕種紙、掃き立てに使用する羽箒を咥えていますが、特に羽箒の猫は体の模様が桑の葉と蚕の繭で構成された変わり種でサイケな描写が特徴です。#養蚕信仰
紙質から明治中期以降と思われる、養蚕の守護神である衣襲明神さんに馬を配した刷物を入手。右下に「吉尾印刷」の文字があることから、越中・富山の薬売りが得意先に進物として配った、いわゆる「売薬版画」であることが分かります。#養蚕信仰
授与元の記載の無い、古い お犬様(狼)の御札を入手。ただし、お犬様の描写や上部に摺られている五柱の神名の構成が神仏分離以降の武蔵御嶽神社さん(東京都 青梅市)の御祭神と一致するため、断定こそはできませんが同社に於いて明治前期以降に授与されたものである可能性が考えられます。#狼信仰
今年は13日に旧暦の神無月(出雲と諏訪を含む一部地域では神有月)に入りましたので、恒例ですが出雲サミットの浮世絵画像を貼っておきますね。…あン?「巨大すぎるから来ないでヨシ」と言われた諏訪明神が居るだって?いンだよ細けぇこたァ!!(橋本貞秀「出雲国大社集神」安政4年/1857年)
なお、余談ながらこの義務付けは役者絵・歴史画・美人画・名所絵などのジャンルに関係なく一律でしたので、俗に「おもちゃ絵」「玩具絵」と称される児童向けの錦絵であっても適用されるものでした(画像の作品は切り抜いて紙の着物を自作するための玩具絵)
金太郎「…おぅワレ。ワイのシマで何勝手しとんねん。あんまナマぬかしよるちゅうんなら、速攻で いてこましたろか?」(月岡芳年の明治初年頃の武者絵揃物より)