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今年30歳になる佐々木綾乃さんは、島根県内の福祉事業所で内職仕事の合間に、塗り絵に取り組んでいる。 2018年夏頃から、下絵をはみ出した独自の方法で色を塗るようになる。下絵に色の塊を擦りつけるような塗り方は、色鉛筆を順番に使っていく彼女の儀式的行動にも起因しているのではと母は分析する。
今年50歳になるウルグアイ在住の庭師、アレクサンドロ・ガルシアは、子どもの頃にUFOを見たことを機に、年鑑の裏などに霊的なヴィジョンを描くようになった。 彼は、通常、無重力に浮かんでいるか、無限の空間に飛び出そうとしている架空の都市と、それに向かってやってくる星座の絵を描いている。
今年37歳になる木村茜さんは、太い油性マーカーと濃い鉛筆を使って、自ら編み出した記号を、一定のストロークとリズムで反復して描き続けている。マーカーが擦れる音や画用紙の端からはみ出す音など、形の創出と腕の動きと音とリズムが一体となり「絵を描く」という彼女独自の法則は生まれている
9歳で父をなくしたポール・エンドは、11歳から製鉄所で働き始めた。38歳のときに、精神疾患を発症し精神病院に収容された。 入院した4年後から、包装紙に白い油絵の具を塗って独特の質感をつくり出し、その上から色鉛筆で絵を描き始めた。雑誌のイラストをなぞって描き、手を加えていくこともあった。
幼少期からピアノや歌を習っていたベルテ・ウラスコは、30歳を過ぎて「声が聞こえる」と周囲に訴え始め、精神疾患を発症した。 彼女は、39歳からジュネーヴの精神病院に収容された。 入院中に、即興で鉛筆の絵を描き始め、家や木に囲まれた牧歌的な風景の中に現れる大きな目をした人物を多く描いた。
1978年生まれの本岡秀則さんは、小さい頃から電車が好きで、17歳頃から、コピー用紙や広告の裏などに正面から見た電車の絵を自宅で描き始めた。 これまで、地元である阪急電鉄の電車を100両近く描いており、自分が知っている全ての電車を一枚の紙に描くために、すし詰めのように並べて描いている。
今年60歳になるレオポルド・ストローブルは、35年以上にわたり、絵を描き続けている。新聞に掲載されている風景写真の黒い部分を色鉛筆で塗りつぶし、緑の空を描く。そして、黒色と空の境界線を定義し、それらを画用紙に貼り付け、鉛筆で独自のサインを入れて完成となる。作品はMoMaに収蔵されている。
今年25歳になる鵜飼結一朗さんは、19歳から「やまなみ工房」に所属し、公園や駅の清掃に携わっている。休憩時間に本を見たり絵を描いている。動物や昆虫、恐竜や妖怪を題材にして描いており、同じ対象の生物を重ねるように次々と描く。絵と同様に、恐竜や骸骨のミニチュアを陶土で制作することもある。
今年37歳になる齋藤裕一さんは、19歳から「工房集」に通っている。当初は、帰宅後に観るテレビの番組名を描いていたが、次第に『ドラえもん』の「も」や『はぐれ刑事』の「は」など、極端に省略した文字を描くようになる。 執拗に描き重ねられた文字は、次第に重なり合い、抽象的な図像へと変化する。
幼少期からトリノの鋳物工場で働いていたエギディオ・クニベルティは、24歳のとき、自転車事故による脳出血のため、緊急手術を受けた。 頭痛や痙攣、不眠症等の後遺症が残り、43歳で仕事を辞めざるを得なくなった後、路上で拾い集めたゴミを組み立てて130点もの家具や彫刻、絵画などの制作を始めた。