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ヨゼフ・ヴィットリッヒは、4歳のとき母親が他界。引きこもって絵を描くようになる。31歳からは農作業員として働きながら絵を描いていた。
第二次世界大戦では負傷してロシア軍の捕虜となり、戦後は陶磁器工場で働き、再び絵を描き始めた。79歳で亡くなるまでローマ法王や王室の写真を元に描いていた。
今年68歳になるダヴィッド・ゼルディスは、5歳で家族とアメリカに移住。ニューヨークで写真を学んだあと、絵や文章を描き始めた。
30年間、小さなアパートに住み、外界との接触を遮断している。強迫性障害による先端恐怖症のため、絵を描く道具は自作し、時計やネズミなどを散りばめた絵を描いている。
電気技師見習、鉄道員など職を転々としたルボシュ・プルニーは、28歳からチェコ芸術大学でモデルを勤める。統合失調症の診断を受けたことで、精神医学に興味を抱く。幼少より絵と解剖に強い関心を持ち、身体をテーマに作品を制作を始めた。インクのほか、血液、毛髪、皮膚などを用いられることもある。
31歳のとき精神病院に収容されたアドルフ・ヴェルフリは、36歳から独房に籠り、壮大な著述と絵画制作、作曲に没頭。
『揺り籠から墓場まで』と題した架空の自伝は2万5千頁に及び、幼少期の自身を主人公にした探検から、聖アドルフの宇宙征服へと飛躍し、自身の死を弔う葬送行進曲まで準備していた。
62歳から65歳くらいまで、アメリカ合衆国テキサス州ヒューストンで路上生活を送っていたリチャード・ゴードン・ケンダルは、62歳のとき、キュレーターに「発見」された。
『自分を「鋭く」保つために街の建築物の絵を描いている』と話していた彼だったが、3年後に自ら連絡を絶ち、失踪。75歳で他界。
今年80歳になるイラン生まれのレザ・シャファヒは、兵役期間中に校長やレスリングコーチ、市立体育監督などを歴任。プロレスをこよなく愛した。
美術の仕事をしている息子に励まされ、72歳から独学で絵を描き始めた。
イランをはじめ世界各国のメディアが彼のインスピレーションの源になっている。
大理石の工房を所有するミラノで生まれたアンジェロ・メアーニは、家業を継ぎ彫刻家として活躍。墓石の彫刻等を続けていたが、伝統的な世界に嫌気が差し、壊れた食器や廃材を集めて仮面を制作するようになる。第二次大戦中は動員を逃れるため、家業を辞めてスイスに逃亡。晩年は、創作活動に専念した。
病院の清掃員として働いていたヘンリー・ダーガーは、7人の美少女姉妹ヴィヴィアン・ガールズが、残虐非道な男たちを相手に壮絶な闘いを繰り広げる『非現実の王国で』を執筆。15000頁を超え、数百もの挿絵が添えられた物語は、生前、誰にも見せることは無かったが、死後に大家夫妻によって発見された。
シルヴァン・ファスコは20歳のとき、過失致死傷罪により2年間投獄された。
出所後、懲罰部隊に入隊したが緘黙症となり、27歳で精神病院に収容される。
5年後、独房の壁を彫り、石で落書きをするようになった。その後、画材を与えられ、裸の女性たちを熱狂的に描いたが、栄養失調のため37歳で死亡した。
ヤンコ・ドムシックについては、謎が多い。20歳のとき、フランスで鉄道建設の仕事に従事していたとされている。彼は、老齢年金の受給トラブルと著作を盗まれるという被害妄想に悩まされていた。絵の中の文字は神秘主義的な考えやフリーメーソンの道徳的な規範などもあれば感嘆符や造語も混じっている。