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「バーゼルの囚人」と呼ばれたジョセフ・ジャヴァリーニは、結婚後、30歳でスイスのバーゼルに移住。読み書きもできなかった彼は、建設業を興して成功を収めたが、50歳のとき、愛人を拳銃で殺害し6年の懲役を言い渡された。
独房で、彼は手でこねたパン粉と、家族から貰った粘土を使い人形を制作した。
第一次世界大戦中に捕虜となったギョーム・プジョルは、釈放後に税関職員となり、地元の政治にも関与した。
結婚後、妻への殺人未遂事件により、33歳から施設に永久収容された。
42歳頃から、院内で盗んだ医薬品を使用し、絵を描き始めた。自分の毛髪で絵筆を作り、それら道具は鍵をかけて保管した。
1995年から毎日自画像を描き続けているブライアン・ルイス・サンダースは、2001年に11日間でコカインやマリファナなど18種類の異なる薬物を摂取し、その影響下で自画像を作成するという実験「UNDER THE INFLUENCE」を行った。
ジェームズ・エドワード・ディーズは、25歳で弟を斧で切りつけ、家族から引き離されたことで自殺未遂を図った。
精神病院に収容され、毎週、電気痙攣療法を受けさせられた。
彼の絵には苦しみや暴力描写は見られないが、唯一の例外は、電気痙攣療法の頭文字「ECT」が繰り返し書かれていることだった。
アラバマ州の農場で育ったウィリアム・ドーソンは、22歳で結婚してシカゴに移り、青果物販売会社に38年間勤務した。警備員のアルバイトをしていた64歳のときから、木彫りの人形をつくるようになる。退職後は、近所の路地で拾った廃材を使って、数インチから数フィートの大きさの男女の彫刻を制作した。
今年63歳で他界したエドワード・ウォルターズは、20年前からクリエイティブ・グロースに所属。彼は、定木とステンシルを使って、幾何学形態を組み合わせた高層ビルのような景色を描いていた。近年では、「音楽はもうたくさん」「職場で言おう」など、皮肉に満ちた言葉を絵の中に描くようになっていた。
ケーテ・フィッシャーは43歳のとき、母と共に交霊会に参加した際、自身の霊力を発見した。やがて、亡き祖父の導きにより、自動筆記で文章を書くようになる。その後、霊の導きにより水彩画を描くようになった。しかし、余りに混沌とした状態になったため、以後はインクと色鉛筆のみを使うようになった。
1934年にバーモント州で生まれたゲイリーン・エイケンは、幼い頃から独学で絵を描き始めた。
あるときから、ダンボールの切り抜きや本だけでなく、物語性のある文章と絵を組み合わせ、24人の子どもたちが住む「ライムビリの従兄弟」と呼ぶ架空の王国を舞台とした物語の創作をつくるようになった。
ダニエル・ローリックは、子供の頃、映画雑誌に掲載された映画スターの絵を描いていた。第二次世界大戦中の従軍中、日本映画に魅了され、好きな日本の俳優の絵を、架空の軍事的なシーンを盛り込んで70点以上描いた。58歳で急逝。身寄りのなかった彼の絵は、95年に家族の友人が購入し初めて公開された。
スーダンで生まれた1990年生まれのハフィズ・アデムは、24歳のとき、祖国で兄と共に誤認逮捕され刑務所に投獄。兄が処刑され、自身もひどい暴行を受けるなどの悲惨な出来事を経験した後、リビアへ亡命し、2017年からはフランスに亡命。祖国での暮らしや逮捕から亡命までの一連の様子を絵に描いている。