櫛野展正さんのプロフィール画像

櫛野展正さんのイラストまとめ


アウトサイダーアートを紹介しています。日本唯一のアウトサイダー・キュレーター。アウトサイダーアートを扱う「クシノテラス」主宰。現在は、静岡県にある「アーツカウンシルしずおか」のチーフプログラム・ディレクター。京都芸術大学大学院芸術専攻修士課程修了(MFA)。研究テーマは高齢者の芸術表現「超老芸術」。
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アラバマ州の農場で育ったウィリアム・ドーソンは、22歳で結婚してシカゴに移り、青果物販売会社に38年間勤務した。警備員のアルバイトをしていた64歳のときから、木彫りの人形をつくるようになる。退職後は、近所の路地で拾った廃材を使って、数インチから数フィートの大きさの男女の彫刻を制作した。

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今年63歳で他界したエドワード・ウォルターズは、20年前からクリエイティブ・グロースに所属。彼は、定木とステンシルを使って、幾何学形態を組み合わせた高層ビルのような景色を描いていた。近年では、「音楽はもうたくさん」「職場で言おう」など、皮肉に満ちた言葉を絵の中に描くようになっていた。

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ケーテ・フィッシャーは43歳のとき、母と共に交霊会に参加した際、自身の霊力を発見した。やがて、亡き祖父の導きにより、自動筆記で文章を書くようになる。その後、霊の導きにより水彩画を描くようになった。しかし、余りに混沌とした状態になったため、以後はインクと色鉛筆のみを使うようになった。

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1934年にバーモント州で生まれたゲイリーン・エイケンは、幼い頃から独学で絵を描き始めた。
あるときから、ダンボールの切り抜きや本だけでなく、物語性のある文章と絵を組み合わせ、24人の子どもたちが住む「ライムビリの従兄弟」と呼ぶ架空の王国を舞台とした物語の創作をつくるようになった。

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ダニエル・ローリックは、子供の頃、映画雑誌に掲載された映画スターの絵を描いていた。第二次世界大戦中の従軍中、日本映画に魅了され、好きな日本の俳優の絵を、架空の軍事的なシーンを盛り込んで70点以上描いた。58歳で急逝。身寄りのなかった彼の絵は、95年に家族の友人が購入し初めて公開された。

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スーダンで生まれた1990年生まれのハフィズ・アデムは、24歳のとき、祖国で兄と共に誤認逮捕され刑務所に投獄。兄が処刑され、自身もひどい暴行を受けるなどの悲惨な出来事を経験した後、リビアへ亡命し、2017年からはフランスに亡命。祖国での暮らしや逮捕から亡命までの一連の様子を絵に描いている。

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母と同じく聴覚に障害のあるニキフォーは、母の死後、故郷の海辺のリゾート地で描いた絵を売ったり、世話をしたりして生きていた。13歳から絵を描き始め、教会や駅、街並みなどを好んで描いた。1930年代になると、彼の作品はポーランドの芸術家の間で流通し始め、その後ヨーロッパ中に広まった。

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電気技師であり発明家でもあったメルビン・エドワード・ネルソンは、、地球の磁場を記録し、自身の幽体離脱を描いた絵画を制作した。40歳で単身移住し、農場を耕し、実験や発明に取り組んだ。53歳から5年間、地球の磁場や幽体離脱を記録し、UFOの着陸によって変質した岩石や土を砕いて絵を描いた。

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第一次世界大戦中に捕虜となったギョーム・プジョルは、釈放後は税関職員となり、地元の政治にも関与した。結婚後、妻への殺人未遂事件により、33歳から施設に永久収容された。42歳頃から、院内で盗んできた医薬品を使用絵を描き始めた。自分の毛髪で絵筆を作り、それら道具は鍵をかけて保管していた。

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結婚して7人の子供をもうけたヘレネ・ライマンは、靴の販売業として働いていた。
45歳のとき統合失調症を発症し、娘の家へ身を隠していたが56歳で精神病院へ収容された。
病院では靴やドレス、動物などの絵を描き、完成した作品は院内のスタッフから破棄されることを防ぐために枕の下に隠していた。

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