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マルコム・マッケソンはハーバード大学を卒業後、第二次大戦中は少尉として従軍。戦後は、家族経営の化学会社で働き始めた。52歳で早期退職し、暴力的で官能的なエロティシズムの絵を描き出した。84歳のとき、ニューヨークのアウトサイダー・アートフェアでディーラーに声をかけ自分の作品を公にした。
今年30歳になる佐々木綾乃さんは、島根県内の福祉事業所で内職仕事の合間に、塗り絵に取り組んでいる。
2018年夏頃から、下絵をはみ出した独自の方法で色を塗るようになる。下絵に色の塊を擦りつけるような塗り方は、色鉛筆を順番に使っていく彼女の儀式的行動にも起因しているのではと母は分析する。
今年37歳になる木村茜さんは、太い油性マーカーと濃い鉛筆を使って、自ら編み出した記号を、一定のストロークとリズムで反復して描き続けている。マーカーが擦れる音や画用紙の端からはみ出す音など、形の創出と腕の動きと音とリズムが一体となり「絵を描く」という彼女独自の法則は生まれている
9歳で父をなくしたポール・エンドは、11歳から製鉄所で働き始めた。38歳のときに、精神疾患を発症し精神病院に収容された。
入院した4年後から、包装紙に白い油絵の具を塗って独特の質感をつくり出し、その上から色鉛筆で絵を描き始めた。雑誌のイラストをなぞって描き、手を加えていくこともあった。
幼少期からピアノや歌を習っていたベルテ・ウラスコは、30歳を過ぎて「声が聞こえる」と周囲に訴え始め、精神疾患を発症した。
彼女は、39歳からジュネーヴの精神病院に収容された。
入院中に、即興で鉛筆の絵を描き始め、家や木に囲まれた牧歌的な風景の中に現れる大きな目をした人物を多く描いた。
今年60歳になるレオポルド・ストローブルは、35年以上にわたり、絵を描き続けている。新聞に掲載されている風景写真の黒い部分を色鉛筆で塗りつぶし、緑の空を描く。そして、黒色と空の境界線を定義し、それらを画用紙に貼り付け、鉛筆で独自のサインを入れて完成となる。作品はMoMaに収蔵されている。
今年25歳になる鵜飼結一朗さんは、19歳から「やまなみ工房」に所属し、公園や駅の清掃に携わっている。休憩時間に本を見たり絵を描いている。動物や昆虫、恐竜や妖怪を題材にして描いており、同じ対象の生物を重ねるように次々と描く。絵と同様に、恐竜や骸骨のミニチュアを陶土で制作することもある。
幼少期からトリノの鋳物工場で働いていたエギディオ・クニベルティは、24歳のとき、自転車事故による脳出血のため、緊急手術を受けた。
頭痛や痙攣、不眠症等の後遺症が残り、43歳で仕事を辞めざるを得なくなった後、路上で拾い集めたゴミを組み立てて130点もの家具や彫刻、絵画などの制作を始めた。
今年81歳になるライムンド・カミーロは、ブラジルの建築現場や厨房で下働きをしていた。雇用主と口論になった後、路上生活を余儀なくされ、25歳で精神病院に入院。院内で入手可能な紙を使って、コーヒー等で色を作り、自分だけの紙幣を描くようになった。完成した紙幣は院内の女性職員に配布している。
放射線技師として働いていたリンジー・カルディコットは、幼少期に虐待を受けていた。躁鬱病や統合失調症、多重人格障害、強迫性障害、アルコール依存症に苦しみ、34歳から精神病院へ入院。入院中より、メスで切断した無数のX線の断片をコラージュして創作を始めた。数度の未遂を経て48歳で自死した。