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【隠岐(真弓)広有】建武元年、紫宸殿の上から「いつまで、いつまで」という声がする怪事件が起き、弓の達者の隠岐広有が選ばれ見事に退治した。落ちてきたのは、足の爪は剣のように鋭く、羽を広げると一丈六尺という怪鳥「以津真天」だった。この功により後醍醐天皇から「真弓」の姓を賜ったという。
【悪七兵衛景清】上総介忠清の七男・伊藤景清は、勇猛な平家の家人で、屋島の戦いでは源氏方の美尾屋十郎の兜のシコロを素手で引きちぎった「錣引き」で有名。「悪」は目上の親族を討った者にあてられることもあるが、概して「強い、勇猛」の意。
里見義堯(さとみ よしたか)。
房総に覇を唱えた戦国大名。遠交近攻を駆使して、小田原北条氏に度々煮え湯を飲ませた。にもかかわらず『北条五代記』は「仁を第一とし給へば、諸侍皆仁の道をおこなふ、仁者かならず勇ありと云う」と賞するほどの名君だった。
福岡市立博物館「侍展」で、個人的にグッと来たもの。
・紺糸威胴丸
・着背長(陣羽織)
・素懸紅糸威腹当
・一国長吉(槍)
どんな色してるかとかは、是非実際に行ってご確認ください。
【安倍貞任】前九年、後三年の役で、源頼義・義家の官軍を苦しめた陸奥の大豪族・安倍氏の棟梁。「陸奥話記」によれば、身長は六尺を超え胴回りは七尺四寸の巨漢だったされる。弟の宗任は降伏して都に護送されると、梅の花の名も知るまいとの都人の嘲笑に、即妙な返歌で応じたことで有名。
【内藤正成】織田信秀の軍勢の夜襲に応戦した時、持参した100本の矢が尽きそうになると、傍らに「怪しき童子」がいたので、矢を持ってくるよう頼むとすぐさま拾ってきた。おかげで死傷200という戦果をあげた。信長が作った武者リストでも、正成は黒点を押されるほど抜群の武功者だったという。
【壇ノ浦の戦い】平教経は、京都一の強弓と称された、平家きっての猛将。壇ノ浦の戦いでは義経を襲うが果たせず、もはやこれまでと観念すると、兜と武器を海へ放つや、胴の草摺をもかなぐり捨て、安芸太郎・次郎兄弟を抱えて身を投げ果てた。
【鎮西八郎】源為義の八男。身の丈七尺、左手は右手より四寸長く、八人がかりで弦を懸けた弓から放たれる十五束の矢は、伊藤六の胸から伊藤五の袖まで貫く。八丈島で痘瘡神を、黒神山では七本の角を持つ大蛇を退治。最期の戦いに於て追討軍の船を沈没させた。規格外の豪傑。 #描いたから見て