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自分も含めて多くの人が悲しみをもって反応せずにおれない訃報に接するたび、この絵図が頭から離れなくなる
今から920年ほど前、イタリア北西部パドヴァの礼拝堂に描かれたイエスの死を悼む人々と天使たちの図
今も同じ場所にある
ボンドーネの子ジョットの作
承前)フランクール家の音楽家たちは王室音楽アカデミーや「王の24のヴァイオリン団」で活躍したけど、まともな肖像が残ってるのはフランソワの甥でボッケリーニやハイドン弟と同世代のルイ=ジョゼフ⬅️だけ
フランソワの肖像と言われてきたの➡️は楽器がヴィオルなので別人じゃないかな #古楽の楽しみ
承前)プッチーニ『ラ・ボエーム』1896年トリノでの初演時に制作されたポスターも、描いたのはロシア生まれウィーン育ちのアドルフォ・オエンステイン(アドルフ・ホーエンシュタイン、1854-1928)ですしね
承前)翻って1610年頃の絵も。
左はモンテヴェルディより年上のパルマ・イル・ジョーヴァネの「洗礼者ヨハネの斬首」(ヴェネツィア聖母被昇天教会)だけど、大胆な短縮技法や残虐描写はまさにバロック。
右はロサンジェルス美術館にあるサラチェーニ「聖女カエキリアの殉教」
#古楽の楽しみ
承前)ヤン・ミールは精細に富んだ庶民の暮らし⬅️を描いた画家で、『トッカータ集』第3版が出た頃から20年以上ローマに住んでた。でも神話世界の美➡️も描けるんだ
どちらも1645年頃作。左の絵は米東海岸ハートフォードにあるワズワース・アシーニアム美術館の所蔵。右の絵は私家蔵
#古楽の楽しみ
承前)版画家というのは語弊がありますね…版画の下絵作家であり画家で、版画を通じて広まった彼の作品が多いんだな
同じフランデレン出身のウィラールトがいた頃のヴェネツィアにいて、ホルバインが『死の舞踏』を刊行した頃のリヨンを経てパレストリーナが来る頃のローマに赴いた美術家なのよね
承前)バートンの館長時代にロンドン・ナショナル・ギャラリーが受け入れた作品にはレオナルドの「岩窟の聖母」、ホルバイン「大使たち」やボッティチェッリ「ウェヌスとマルス」など、同館の代表的な展示品として知られるオールドマスターたちの傑作が少なからず含まれるんだな
(ちょっとホッとする流れ。その綴りはフランス語流に口蓋化する母音で読まれるんだよ…百歩譲ってイタリア語流で読ませるにしても語尾はiの綴りだからね…17世紀フランスと無縁な場所で勝手な読みに当てはめたのを使い広められる流れが止まりそうでよかった…)
あまりにさむいので、寒さに存在感が出てきそうな絵を流しておきますね…ターナー存命中から活躍を始めて、作曲家グリーグが傑作群を世に送り出す頃まで活動したノルウェーの画家ペーダー・バルケの灯台風景(1855/オスロ建築デザイン美術館所蔵)を👇🇳🇴
【連載更新続々】固定ツイートのスレッドにも繋げときますネ✨
『ジャケット越しに聴こえる物語』
今回はサリエーリ晩期の充実作続々!と、ベートーヴェン作品でも録音物少なめな管弦楽曲や声楽曲群…200年前風の奏法で瑞々しく蘇る息吹から、ジャケットのカップ二つに潜む意味が浮かび上がります❗️ https://t.co/l2vITc5kZE