今回は、古代の激しすぎる才女・笠郎女(かさのいらつめ)。大伴家持への恋心で燃え尽きた恋の歌を紹介します。

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「花は咲いたけど…」涙は乾かぬという家持歌。
(巻第3・469)

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「その道を知っていたら塞を置いたのに」と嘆いた家持歌。
(巻第3・468)

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「小さな子だっているのに
なにも今 いかなくても……」と胸を痛めた家持歌。
(巻第3・467)

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七月(旧暦)に入って秋風を悲嘆した家持歌。
(巻第3・465)

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さらに瞿麦(なでしこ)を見て作った家持歌。
(巻第3・464)

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「菅の根はなかなか抜けないから標(しるし)だけつけておこう」と想い人を譬喩した家持歌。
(巻第3・414)

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Midjourney(ミッドジャーニー)

さらにミュシャのスラヴ叙事詩(Alphonse Mucha The Slav Epic)風で、佐竹美保さんの挿絵風に

万葉集
大伴家持のかたかごの越中万葉歌 

もののふの
八十娘子らが
汲みまがふ
寺井の上の
堅香子(かたかご)の花

https://t.co/kk3OPCJlJt

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Midjourney(ミッドジャーニー)

万葉集 大伴家持  の イメージ

うーん、呪文が難しい、、、。

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毎年毎年「大伴家持死」が刺さる…!!
続日本紀で他に個人の訃報記事で「死」が使われてるの玄昉とか道鏡レベルなのでは?!20年くらい後に復権するまではこの辺りと同列か…
父旅人の忌日からおよそ一ヶ月後なので季節のうつろいも感じる家持忌日。

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大嬢(おほいらつめ)を「玉」に譬えて贈った家持歌。
(巻第3・403)

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【訂正再掲】
自然の移り変わりを悲しんだ家持歌。40歳頃。

作歌同時期に「橘奈良麻呂の変」勃発。
(山菅=龍の髭とも)

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自然の移り変わりを悲しんだ家持歌。40歳頃。

作歌同時期に「橘奈良麻呂の変」勃発。
(山菅=龍の髭とも)

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しかし数日後、京への帰路途中立ち寄った越前の池主宅で偶然運命的に広繩と再会を果たす。
(参照:中西進『万葉集 全訳注原文付』)

立ちて居て
待てど待ちかね
出でて来し
君に此処に遇ひ
插頭しつる萩

大伴家持

↓過去絵の久米広繩

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6年(満5年)の越中守の任期を終え奈良に戻ることになったが苦楽をともにした(であろう)部下の久米広繩は任務で上京しており不在。せめてもと広繩宅に贈った別れを悲しむ家持歌。
(越中に来て約5年)

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萩の早花(はつはな)を見て作った家持歌。
(越中に来て約3年12ヶ月※閏月含む)

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【今日プラ:23分】
キャラ:越谷 夏海

石麻呂に
われ物申す
夏痩せに
良しといふものぞ
鰻取り食せ

大伴家持
『万葉集』

🎐石麻呂(いはまろ)は大伴家持の親友 吉田連老のニックネーム。
🎐うなぎの栄養価の高さは万葉集の時代に既に認識されていた。

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お仕事中に雨宿りでの家持歌。
「遅くなるって奥さんに言った?笑」
(越中に来て約3年8ヶ月)

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土用の丑の日の時期ですね。なんと万葉集で有名な大伴家持氏も鰻の歌を詠んでいます。なにやらお酒が好きすぎる歌人もいるようで…


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愛する妻に真珠を贈ってあげたいなあと願う家持歌。
(越中に来て約2年10ヶ月)

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