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「ここに居たい、その為には名前が必要」
ここに居るために周りに自分を認知してほしい、でも自分には何も無い
昔のシンジたちは、「何も無い自分はエヴァに乗るしかない」だった
何も無いから「価値ではなく名前が欲しい」となる黒波は、自分自身にこそ価値があるんだという意識が形成されてる
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「僕はエヴァンゲリオン初号機パイロット、碇シンジです!」
このセリフ、パイロットとしての自覚が芽生えたシーンのように見えるけど
本来は、エヴァが無い自分でも自分として存在理由や価値がある
とならなければいけないのが新劇場版(というかエヴァ共通)の命題で
自分=パイロットは割と不正解。
渚司令
NERVは国連機関だから、空席の責任者という表の顔を立てておく必要と、
ゼーレの手駒としてNERVの運営をするには彼がいちばん適任、というか彼以外にいない
サードで人類消えちまえばゲンドウがクビになったとか関係ないから亡命の必要もない
渚司令の役目はサード位までな気がする
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結局エヴァがエヴァしてたのは一般(的な感覚を持つ)人がほとんど主要キャラとストーリーに影響を与えなかったからで
一般人だらけの第3村を描いたシンエヴァは、普通に生きてくことが1番尊いと教えてくれる作品で、シンジたちをただの人(一般人、リリン)に戻す作品
そういう意味でのエヴァの破壊
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フォースで自らの手で世界を滅ぼし友人を殺すのを目の当たりにすることで、すなわち自らのニアサーの罪を再試行することで、ようやっと罪の意識を心に刻む
「何もかも僕が壊したんだ」
Qとは記憶喪失した主人公が自分の罪を知る物語
子を守る母親の役目からも、補完の為の人形という役目からも、綾波である限り与えられ続ける仕組まれた残酷な運命からも解放して
エヴァが無くても生きていけるようにもしてくれて
本当に綾波を人として生きれるように新生させてくれた
シンジ、本当にありがとなぁぁぁぁぁぁぁうわぁぁぁぁぁぁ(泣)
もう長くなかったポカ波を初号機が生命維持装置として救っていたことを考えると
「私はここでいい」の重みも変わってくる
生きて「みんなとの絆」を維持するためにポカ波にとってエヴァはなくてはならないものだった
そんなポカ波にシンジは、エヴァがなくても良いようにすると言ってくれたんだ…
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