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『枕草子』「あはれなるもの」より藤原宣孝の御嶽詣に同行していた息子・隆光の装束。973年生まれです(母は藤原顕猷女)。後に宣孝室となる紫式部とあまり年齢が違わないかも。 「隆光が主殿の亮なるには、青色の襖、紅の衣、摺りもどろかしたる水干という袴を着せて、うち続き詣でたりける…」
『小右記』989年実資が五節舞姫を出すことが決まり、あちこちから装束や薫き物など贈られています。 「「院(円融)より蘇芳二十斤を給ふ」てへり。即ち恐み喜ぶ由を奏せしむ。是れ気色を候ぜしむるなり。五節の料なり」 「右将軍(済時)の御許より舞姫の装束を送らる。青摺の衿襠・目染の裳等なり」
#追憶の烏
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尚侍♂(17)の装束。去年の11月に出仕し、これは年明けすぐの話ですが、原作では彼は女春宮と既に関係を持っています。はえーよ😑 尚侍は中納言に比べて自分の境遇についてたいして悩んでないみたい…。
「女房もみな打ちたる衣に薄物の唐衣脱ぎかけたる、ただ今の空おぼえへおかしく見ゆる…」 冴え冴えとした月夜を写したような女房の装束を思い浮かべてみました。梅壺の女御自身は几帳に囲まれ見えません。中納言は「本来なら自分はあの位置にいるのでは」と今の状態に若干違和感を感じ始めています。
法成寺新堂供養での祐子内親王付女房の装束。 当日は僧正遍昭の和歌「浅緑糸よりかけて白露を玉にも貫ける春の柳か」を装束のテーマとした女房もいたようです。 「殿の宮は女房、色々を三つ匂はして十五に、紅の打ちたる、萌黄の織物の表着なり。いみじう綿薄く、目も綾にけうらなり(栄花物語)」
『更級日記』仏名会での孝標女(32)の装束。 「十二月二十五日、宮の御佛名に召しあれば、その夜ばかりと思ひて参りぬ。しろき衣どもに濃き掻練を皆著て、四十餘人ばかり出で居たり。」 祐子内親王付きの女房は白い袿に濃い掻練を着るドレスコードがあったということでしょうか。
第5回襲色目人気ランキング【唐衣部門(織物×織物)】 第1位『源氏物語』より中将の君(六条御息所付女房) 第2位 土御門行幸での色聴女房 第3位 春秋歌合での土佐 平安中期はこれでもだいぶ上位の女房装束だと思うんだけど、派手派手期に入ると中臈クラスの装束って感じですかね~。