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襲色目botさんのイラストまとめ


古典に描写された装束の襲色目を再現してつぶやきます
◆即位礼正殿の儀 装束まとめ min.togetter.com/uGvNSRG

《御注意》
原文に描写のない部分は想像です。全くの素人なので有職故実がなってなかったり、原文の解釈が間違っている場合も多々あると思われます。終始生暖かい目で御覧ください。

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ちなみに産養の時の装束はこんな感じだったかな?

「弁の内侍の、裳に白銀の洲浜、鶴を立てたるしざま、めづらし。裳の縫物も、松が枝の齢をあらそはせたる心ばへ、かどかどし。」

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『紫式部日記』土御門第行幸より弁内侍の装束。璽(勾玉)を持って従っています。式部は彼女のセンスに一目置いているようで、今回の扇もそうですが、敦成親王の産養時の白装束も裳の刺繍や飾りがイイと誉めています。

唐衣:青(無文) 表着:葡萄染(織物) 打衣:紅 裳:裾濃 領巾:楝だん

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『紫式部日記』土御門第行幸より橘三位(徳子。橘仲遠女、藤原有国室)の装束。一条天皇に仕える内裏女房で(彰子付きも兼務)かつては乳母も務めました。今回も敦成親王の乳付けをし、後には彰子腹第二子・敦良親王のまかなひ役も務めています。

唐衣:青(織物) 表着:黄菊の袿(唐綾)

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『紫式部日記』土御門第行幸時の彰子付き上臈(色を聴された)女房の装束。彰子に待望の第一子・敦成親王が誕生し、その顔を見に一条が訪れます。

唐衣:赤or青(織物) 表着:蘇芳(織物) 打衣:濃淡紅葉の掻練 五衣:濃淡支子or紫苑or裏青き菊or三重(織物)など 裳:地摺

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あつもりが人気と聞いて。(違)

「練貫に鶴縫うたる直垂に萌黄匂の鎧着て、鍬形打ったる甲の緒締め、金作りの太刀を佩き、切斑の矢負ひ滋籐の弓持って、連銭葦毛なる馬に黄覆輪の鞍置いて乗ったる武者一旗、沖なる舟に目をかけて、海へざっとうち入れ五六段ばかり泳がせたる(平家物語)」

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狭衣物語より源氏の宮(斎院移居)と、源氏物語より明石姫君(衣配)、女三の宮(蹴鞠・女楽)の桜がさねの装束。

皆様お元気にお過ごしですか🌸

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北山院参内の出車の女性達の装束は、兼良が『女官餝抄』に記す色目そのままの物が多く見られます。初めは「ほほぅ兼良のを参考にしたな」と思っていたんだけど、調べてみたらこの『北山院入内記』を書いた一条経嗣って兼良のお父さんじゃないかーい。なんだぁ、影響をうけたのは兼良の方か!

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『北山院御入内記』十の車で随行する女童の讃岐と美作。
一番しんがりの出し車です。髪には物忌をつけ、「童の車ばかりには下簾をかけず」とあります。再現では見えないのだけど、表袴が山吹と葡萄染なのも良き~(その下の袴は紅で、若年だったら濃色というわけでもないのですな。)

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『北山院御入内記』七の車で随行する小督と少納言。
鎌倉室町ぐらいから女房の名前って顕著に使い回しされてる気がします。『大上臈御名之事』には階級によって用いられる名称が割と固定されてた様子が書かれていて、それにあてはめると六、七、八の車はだいたい小上臈下位~中臈クラスでしょうか。

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『紫式部日記』「敦良親王御五十日」より紫式部の装束。柳と萌黄の組み合わせは女楽の明石の御方を思い出させます。「若々しすぎて着替えたい」という式部の言葉は本心とは思えず、この色目をあえて着て、書き残した理由があったのでは(ちょうど若菜の帖を公開した頃だったなど)と、妄想してみたり。

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