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「いじめをする人は何よりもいじめる相手に依存している。自分自身だけで満足できる(自足)ことを探す能力がなく、常に他人を必要とするわりに、他人に対して不自由なほど神経質である。」(津村記久子『二度寝とは、遠くにありて想うもの』講談社文庫、P30)
「本を買うということは、その本を「未来に読む」というひとつの約束のようなものを買うことだった。借りてきた本には期限がある。そうなると、そこにあるはずの「未来」が、あまりに短くてがっかりしてしまう。一方、自分のものにした本には、限りない「未来」が含まれていた」(『金曜日の本』P71)
「元々、日本人はそれほど卵が好きだったわけではない。古代から中世にかけて、鶏卵を食べたらしい記録も見られるが、その数は多くない。逆に『日本霊異記』などの仏教説話では、卵を食べることによって、実に恐ろしい目に遭う話が目につく。」(青木直己『江戸 うまいもの歳時記』文春文庫、P217)
「自分が人のことを想うほどには、人は自分のことを想っていないのだな、と思う。すねているわけではなく、静かに、そう思う。でも、どこかから僕を見つめて、同じように感じている人がいるのだろうと思いながら、日々を生きる。」(利重剛『ブロッコリーが好きだ。』近代文藝社、P132)
「少しでも親や家族のことで、つらい思いをしているとか、おかしいと感じている、悩んでいるけれど人には言えない、という人は、「自分の家が当たり前とは限らない」ということを前提に、一度「あなたの家族の常識」を疑ってみてください。」(コイケジュンコ『親を頼らないで生きるヒント』P8)
「いじめをする人は何よりもいじめる相手に依存している。自分自身だけで満足できる(自足)ことを探す能力がなく、常に他人を必要とするわりに、他人に対して不自由なほど神経質である。」(津村記久子『二度寝とは、遠くにありて想うもの』講談社文庫、P30)
「人間という動物は、腹が減ってれば何んでもウマイし、腹が減ってなければ何を食ってもウマクない。当り前のハナシをするな。だからオレは、ドコソコの何がウマイなんて事は一向に信用しない。その人の胃袋の状態を先に説明してもらいたいね。」(殿山泰司『三文役者の無責任放言録』角川文庫、P8)
「変った「桃太郎」としては、柳田国男翁が『日本昔話名彙』の「桃太郎」の例話にあげた『紫波郡昔話集』がある。この「桃太郎」では、鬼ヶ島でなくて、地獄へ行ってお姫様を連れてかえり、殿様から莫大なお金をもらって長者になったとある。」(五来重『鬼むかし』角川ソフィア文庫、P248)
「人には誰しも、得意なものとそうでないものとがある。これはすばらしく楽しいことである。みんなが同じように何でも平均的にできるなら、こんなにつまらないことはないだろう。誰もが他人を必要とせず、評価もせずロボットの集団のように生きているにちがいない」(本田宗一郎『私の手が語る』P33)
富野監督の「自己教訓」。
「慣れ仕事は気をつけよう。習い性は危険だ。同じことをやっているときは、いつも反芻しろ。反省しろ。それだけのことなのだ。」(富野由悠季『アニメを作ることを舐めてはいけない』より)