//=time() ?>
音楽の若い友が来た。バルトークを中心に20世紀の音楽について、話と鑑賞をときには楽譜を見ながら進めてきた。前回の「月に憑かれたピエロ」に続いて今日もシェーンベルクを。「浄められた夜」と「作品11」。日本の作曲家は黛敏郎を採りあげた。
わが家の庭の昆虫誌。ひらひらと黄色い小さな蝶が飛んできた。11月に蝶が舞うのはめずらしい。夏日に迫る気温に誘われ、よみがえってきたのか。蝶は霊を運んでくるという。黄色が陽の光で金に輝いて見えた。コロナ感染激増。
モーツァルト「後宮からの誘拐」。早春以来のコロナ禍の日々、ときどきモーツァルトの音楽を聴く。孤独に閉じこもるモーツァルトの深淵もすばらしいけれども、「後宮からの誘拐」のように、人のなかにあって上機嫌なモーツァルトほど才気煥発な作曲家はいない。人を喜ばせたくて仕方がない。
続)後半はシャンソンのLP盤。まず、ピアフの5曲。バルバラの「ゲッティンゲン」「ナントに雨が降る」「孤独」、そして「黒いワシ」。レコードの集まりには「オーディオ・ファン」が数人いて、大部分は「クラシック・ファン」。シャンソンは彼らの音楽体験のなかにもジャンルを超えて生きていたのだ。
合唱団のために月一回、LPレコードを聴く時間をつくった。2回目は歌ばかり。スコットランド民謡をジーン・レッドパスで。シャンソンをピアフとバルバラ。いずれも「人が歌うこととは、どういうことなのか」が突きつめられている。彼女らに肩を並べるのが美輪明宏だ。「ヨイトマケの歌」で締めた。
クリストファー・ノーラン監督の映画「テネット」を見た。時空間をかく乱する破天荒なアクション映画で、要所に最新の量子物理学の成果が表現されている。陽子は時間を遡る。エントロピーを増大ではなく減少させる。アルゴリズムによって地球を滅亡させ時間を消滅させようとする存在と戦う主人公。
山村サロン女声合唱団はサロン閉館後も名前を変えずに活動を続けている。芦屋と仁川の教会でのコンサートも予定されていたが、コロナ禍のあおりで無期延期になった。
稽古場の松山庵で、今日はLPレコードを聴いてもらった。
ヴィヴァルディ「四季」とマスネー「タイスの瞑想曲」。
ベートーヴェンの「バガテル 作品126」は1823年から24年の作品だ。つまり「第9交響曲」「ディアベリ変奏曲」、「ミサ・ソレムニス」と同じころに作曲された。初期の「バガテル 作品33」は若いベートーヴェンが書き散らした才気渙発を作品として発表した、音楽史上はじめての「バガテル集」。
続)宇宙のなりたちについて学びなおし、数の不思議にのめりこむ。21世紀の真夏の「火の洗礼」にさいしては火に伴う「水の洗礼」が激しい雷雨で見舞い、やがて台風の季節がくる。本は読む。文系はランボオ。そして量子力学、数学、天文の本が多い。自分をたしかめたい欲望が先に立つからだ。
『タマ、帰っておいで』横尾 忠則/絵と文(講談社)はすばらしい一冊の画文集だ。「この絵はアートではない。猫への愛を描いた」――横尾忠則。愛猫タマが亡くなったその日から、魂を鎮めるために描いたタマの絵、91点。横尾さんがどんなにタマを愛していたか。(続