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山村雅治さんのイラストまとめ


2016年8月末まで「山村サロン」を運営。閉鎖後は「松山庵(しょうざんあん)」で続行。文を書き、合唱の指揮をやり、絵のモデルにも。北辰旅団の座員の役者としても、日々刺激のたえない生活を。
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松山庵の午後はSPレコードコンサート。パデレフスキーとパハマンのショパン。阪神淡路大震災の翌年、ある人から古いSPレコードを寄贈された。実家の母上が大切になさっていたものが大阪空襲に焼けのこり、この震災にも生きのこったのだが、どこの放送局、大学にも受けとってはもらえなかった、という。

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承前)そこに書かれた「貧しさの豊かさ」ということばこそがブラームスの音楽の美しさを要約したものだ。シェーンベルクは彼の無調音楽や十二音技法にもこのような動機の反転による素材の発展を積極的に用いており、またこの曲をオーケストラに編曲している。

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ヨウラ・ギュラー(1895‐1980)のLP盤が日本ビクターから2枚とも出されたのは1979年のことだった。ベートーヴェンを聴いて、そして小品集も欲しくなった。英ニンバスからCD2枚が出されたのは彼女の没後のことだった。これら4枚、いまでも身近なところにある。

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承前)ジェズアルド『テネブレ』。ヒリヤード・アンサンブル の1990年録音盤は、いまでも聴く。
合唱音楽は男性ユニゾンのグレゴリオ聖歌に始まったが、声部がわかれた13世紀のペロタン(ペロティヌス)を経てジェズアルドに至った。光は彼を照らしては遠のき、また近づく。

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承前)レスポンソリウムは20歳代なかばに罪を犯したジェズアルドの死の2年前、50歳の頃の作品。ルネサンスは人間が生きる喜びを中世から取り戻して、光に充ちていた。ジェズアルドはルネサンスに生きて、孤独の闇のなかに取り返しがつかない罪を犯した人間が、それでも光を求める叫びを書いた。

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『かもめ』にはどの人物にも作者がいない。するりと抜けて蹴とばしている。誰もチェーホフ自身を代弁する人物はいない。細部については怖ろしいほどのリアリティがある。自分とはちがう登場人物のすべてが自分の隣に生きているのだ。

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承前)今日の『冬の旅』の試し聴きをしたのは一昨日のこと。一枚ずつのレコード袋に万年筆の美しい筆跡で収録曲の題名が書かれている。先生を想った。お元気にされてたら、お招きすることができたのに。いまは施設に入られていて「足が動かないことを残念に思います」という文面が最後のお便りだった。

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昼の充実がみちあふれて終わりへと向かう夕方には、光が雲を焼き、金色の輝きのなかに明日の晴天を約す薔薇色を空に添えた。
沈みゆく夕陽は黄金。東のほうから闇が迫る。今日のような夕空は久々に見ることができた。

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カトリック芦屋教会の演奏会のあと、夕空が美しかった。
「天は神の栄光を語り 大空は御手の業を告げる」にはじまる典礼聖歌『詩編 聖書の歌』がある。「日は日に ことばを語り継ぎ 夜は夜に 知識を伝える」と続く。

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街はすでにクリスマスの飾りつけ。わが家の庭にも季節は進んでいる。夜11時に再び出てみたら、雲が晴れて空が見えた。まずオリオン座。そしてカシオペア座も見えた。シリウスは雲にさえぎられてたが、バンプ・オブ・チキンの今日発売された歌で聴いた。『話がしたいよ』『シリウス』『Spica』。

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