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地球も、地上に住む人間、動物、植物も悲鳴をあげている。眼には見えない微生物さえも。
どうしていいのか判らない「地の王」たちは、経済活動を戻すことしか頭にない。そこ?
とりあえずは晴れ間に咲いていた花を捧げよう。
われわれはどこからきて、どこへいくのだろう。
ダンテ「神曲」は高校時代に一気に読んだ。山川丙三郎の格調高い文語訳は、同じ時期に読み進めた文語訳聖書と同じ文体であり、ぐいぐいと体に沁みわたってきた。
「汝等こゝに入るもの一切の望みを棄てよ」。自分の言葉で詩を書きはじめた。創作は地獄の門に入ることだった。
承前)美しい音楽がながれる。ブルックナーはローカルな作曲家だった。だからヴァーグナーに褒めてもらったときに嬉しさのあまりに金貨をさしだした。田舎者として生涯を全うした彼は、世界楽壇を相手にしようもなく「愛する神に」音楽を書き続けた。
久々に近代の音楽を聴いた。ベートーヴェン生誕250年。2020年には西洋音楽が聴かれるあちこちで盛大に演奏会が催されたはずだ。
ベートーヴェンを聴きたくなったのは弦楽四重奏曲だ。「15」と「14」。バルトークもショスタコーヴィチもシェーンベルクもベートーヴェンの楽譜を穴が開くほど読んだ。
弘化3年、海に光る物体が出没。「アマビエと申す者なり。疫病も流行する。私の姿を描いた絵を人々に見せよ」。
画像1/水木しげるの妖怪アマビエ。画像2/同彩色版。
画像3/アマビエの出現を伝える瓦版。画像4/アマエビ。アマビエとよく間違えられる海の生物。疫病に効果あるなしは定かならず。
「李白 酒一斗 詩百篇」。杜甫が先輩の李白を評した言葉で、李白は大いに酒を飲み、飲むほどに詩を書いた。
「酒を飲めば頭が冴える」と書いたのは吉田健一だ。最晩年の入院の日々にも「ギネスが飲みたい」と。晩年に完成された文体、読点がない長い文章の連なりには自動書記の勢いがある。(続
10月4日はアッシジの聖フランシスコ(1182‐1226)の祝日。彼を描くゼフィレッリ監督の映画「ブラザーサン・シスタームーン」はドノヴァンが歌う主題歌もすばらしく何度も見た。精神史家の先達、林達夫が彼への愛を書いていたこともあり、カトリックの聖人のなかでいちばん身近に感じられる人になった。
承前)夭折の芸術家にはかぎりない共感を覚える。彼らに比べればはるかに長生きした鴨井玲が特別な画家だった。いや、ほかにもたくさんいた。松本竣介とか中村彝とか。佐伯祐三にも親しさを感じた。若い人間の直感の表現。関根正二は噴きだしてくる表現を永遠の時間に結晶させた。
すばらしい絵。しばらくは見入っていた。朝日新聞10月1日付夕刊、大西若人さん(編集委員)の紹介記事。関根正二(1899-1919)の「少年」は自画像だろう。はたちで夭折した画家は「信仰の悲しみ」で名高い。高校生の頃に図書館で片っ端から画集を見ていた。村山槐多と関根正二は特別な存在だった。
「文學界」誌の9月号をあちこち読む。村上春樹のロング・インタビューなどではなく、横尾忠則さんの『原郷の森』。連載第2回目を読みたかった。ここでも横尾さんは霊界と現界を突破して言葉を突破させてる。時空の入り乱れる現実は、僕のそれときわめて似ている。彼の絵に惹かれるのはそのせいだろう。