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『闇の奥』は1899年の小説で、蒸気船がコンゴ植民地の密林(明言されない)をさかのぼる話です。
作中、船が現地人に襲われ、乗客の植民地会社社員たちがヘンリー銃を乱射、何人倒したと自慢する。しかし荒事慣れした主人公は「腰だめに撃って当たるわけない」と冷淡。こういう描写もうあったんだ!
『皇国の守護者』では産業革命期に突入した舞台となる新興国で、経済成長についていけなくなった小将家の反乱や、数百人規模の匪賊団があっちこっちにいたらしく「なぜ?」と思ってましたが、強盗騎士だとか英国のハイウェイマンだとかがモデルなのかな。
東アジアとくに日本を舞台としたスパイものがあまりないのは「同じ民族が多数住んでて言葉が通じる地続きの外国」が少ないからなのか、とか思います。東西ドイツみたいに亡命者を装ったスパイが首相の秘書官になれるような国。『プリンセス・プリンシパル』はそうなった架空の大英帝国が舞台でした。
『ACCA』観ました。面白い! クーデター計画が進行中の国が舞台なのに「政府」「軍」「外国」という単語が一切出ない、むしろ細心の注意を払って避けているらしいのが興味深いです。現代日本の読者がひいちゃうから?
天皇制アメリカ合衆国でヨーロッパ風霞が関が暗闘しているような話。面白いです。
『1984年』のビッグブラザーは「45歳位のいかついが目鼻立ちの整った黒い髪と口ひげの男」と描写されていて、スターリンがモデルとされています。でもスターリンはこっちをじっと見てこないんですよ。まっすぐ見るときもありますけど、だいたい宙を見ているんです。なんで偉大なる兄弟は凝視なんだ?
「小銃はボルトアクションかレバーアクションが主流」「拳銃は回転式かセミオート。短機関銃はまだない」「機関銃は重くて高価」というこのあたりが、銃器キャラと刃物キャラが物語で共存できる黄金時代だと個人的に思います。ハボックさんも土方さんもウィンチェスター愛用してましたよね。
『鋼の錬金術師』と『ゴールデンカムイ』は(錬金術をのぞけば)技術レベルも社会制度もよく似ていて、政府も常備軍も銃器もすでに存在する世界で個人的事情から戦う者たちを描いてます。
それで、たぶん収斂進化だと思うんですけど、どっちも『アサルトライフル』が出てこないんですよ。
「近代ヨーロッパ風ファンタジー」の定番は、いまなら古い方から『皇国の守護者(19世紀初頭)』『軍靴のバルツァー(19世紀中盤)』『鋼の錬金術師(20世紀初期)』『幼女戦記(20世紀中盤)』あたりかな。私が知らないだけで他にもたぶんあります。
ブラックラグーンのロベルタ復讐篇、「地獄の黙示録」と「闇の奥」の遺伝子を確実に受け継いでいますよね。ヤツのことが語られる。船が河をさかのぼり、化外の地には闇をまとってヤツがいる。「地獄だ。地獄だ」大好きです。