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『Playing the Victim』: 犯行現場の後ろで絶賛営業中の寿司屋に「物は試し」とデカデカとネオンが光り輝いていたり、奇妙過ぎて開いた口が塞がらないまま、気がつけば映画が終わっていた...
『Playing the Victim』: キリル・セレブレニコフ監督作。犯行現場をふざけながら再現していく人たちの映画なのだが、突然主人公が「ズンドコ節」を背に踊り狂い爆笑した。キリル・セレブレニコフの謎選曲やアニメやビデオ撮影の荒い画の混入は『LETO』、『インフル病みのペトロフ家』へ引き継がれる。
『宇宙のデッドライン』:本作における三角へのこだわりは異様で、三角窓に人を収め、建物は逆ピラミッドの柱となっている。場面展開も三角形で行ったりしていてユニークでした。こういう映画って今の時代、中々見かけないですね。
『宇宙のデッドライン』:1960年の人が考えた2024年を覗いてみた。伝染病により、人類は不妊。言葉が話せなかったり、ミュータントになってしまう世界であった。試験飛行中にこんな未来にやってきた男は生還できるのか?三角ベースの美術へのこだわりが良かった。
『シン・ウルトラマン』:偶然にも『大怪獣のあとしまつ』における演出の悪さを添削するような映画になっており、ギャグがスベる前に次の展開に滑らすテクニックが披露されるが、ハラスメントなる気持ち悪さ、粘り気のある気持ち悪さが苦手でした。例の描写は昭和的と割り切るには厳しいのでは?
『シン・ウルトラマン』:カメラをどこに置くか?の映画であった。映画とは引き伸ばされた人間を投影するものである。禍威獣と対峙していない時ですら見上げた角度、隙間から覗き込むショットで様々な「巨」を魅せる。
それは面白いが...
当時はよくわからなかったが、『コングレス未来学会議』は今観るとめちゃくちゃ面白いかもしれないな。あの映画は肉体からの解放みたいなのが描かれていたが、10年後の世界、VTuberの3Dライブを観ると肉体と虚構が密着し、なおかつ有り得ない角度から映画的ショットを収め続ける。
『名探偵コナン ハロウィンの花嫁』に出てくるナーダ・ウニチトージティって、ざっくりキリル文字翻訳してみたのだが、日本訳するなら「必滅隊」とか「必破隊」って感じかな。