〇西岡衆を語る(第12回/全13回) 宗入は突然襲われ、殺されてしまいました。      
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〇西岡衆を語る(第5回/全13回) やがて、西岡の国衆は 力を伸ばしてきた三好長慶の家来となりました。      

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〇西岡衆を語る(第4回/全13回)国衆たちは国というまとまりを作り、話し合いで地域を治めました。西岡では約70年間自治が維持されました。物集女氏は 最も有力な国衆で 代々 年老衆(としよりしゅう)を務めていました。     

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氏真サン岡部サン鵜殿サン、今川武将はみんな烏帽子つけてたヤス。松平は…

寝る時も烏帽子を外さなかった鎌倉時代と違ってだいぶ形骸化してきたヤスが、由緒正しい守護大名今川家と、三河の一介の国衆松平家との格の違いをあらわしてるんじゃないかな〜と、たぬやすくんの予想だヤス

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2月12日日曜日 午後9時〜 KBS京都テレビ 「京都浪漫 悠久の物語」必見です!放送の中で、来年に450回忌を迎える 京都乙訓・西岡の国衆 物集女宗入公について紹介されます。#物集女    
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浅井長政・久政・朝倉義景の泊濃髑髏は内輪だけの見世物だった

天正二年(1574年)正月に披露された有名な金色髑髏だが、公家衆や他国衆が帰ったあと、馬廻衆(親衛隊)だけの二次会で『珍しい肴』として出て来た

その後は歌え飲めで普通に盛り上がったらしい

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上田の信濃国衆としては、丹波哲郎さんといえば昌幸パッパ。#真田太平記

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ほう、天満山の南に大谷吉継が来たか
戸田、平塚ら北国衆も連れておるとな
大体3000ほどか…

松尾山の麓にわざわざこれだけの兵を配するとは、どういうことじゃ?
これではまるで小早川軍を敵とみなしておるようでは…………ああ、そういうことか😏フフフ…

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石川数正サン、大袖にムシロ!
質実剛健で、それでいて貧乏な三河武士っぽくてとってもカッコいいヤス〜!

数正サンは、実はいえヤス様と10歳くらいしか違わないヤス。

石川数正サンは頭脳派と紹介されて確かにそうヤスが、西三河の国衆をまとめる旗頭でもあったヤス〜(東三河は酒井忠次)! https://t.co/xgoGTo4aJm

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七尾城(島根県益田市)。石見国最大の国衆、益田氏の居城で、Y字型の尾根に南北600m、総延長1200mにも渡って遺構がある。中核はY字の南側で、巨大な堀切や畝状竪堀を設けている。北東の曲輪は出丸的な存在で、放射状に畝状竪堀がある。 

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九州取次となる毛利の大友との和睦を不服とし豊臣臣従を唱える一方で九州北部の親島津方国衆を繋ぐための戦いを続け戸次川で豊臣の面目を潰す
信長公の関東御一統も徳川が織田宿老羽柴や臣従豊臣後もその任に当たり北条は臣従するが
北条氏政か氏直の上洛日が齟齬し太閤の怒りは名胡桃事件で爆発する

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武田二十四将のご紹介。第4弾は「高坂昌信(春日虎綱)」です💡

武田四天王の1人。石和の大百姓、春日家出身。信玄に見いだされ近習、足軽大将、海津城代になるなど異例の出世を遂げた。信濃国衆香坂氏の名跡を継ぐよう命じられ「高坂弾正」と呼ばれる。「甲陽軍鑑」の原本とされる書物を書き上げた。

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かつての支配者である塩田北条氏は、鎌倉幕府と運命を共にして消え去った。
そのあとにこの地を治めた村上義清は武田信玄に負けた。
信玄が死ぬと、真田昌幸がやってきて、残っていた国衆達を丸め込んで、自分の家臣にしてしまった。

子檀嶺城始末 https://t.co/se1mR42d8W

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六角義治『観音寺騒動後の六角家に対する南近江国衆の求心力より高そうだ』
木曽義昌「天正十年時点での儂の忠誠心より全然高いしいけるいける」
武田勝頼「後典厩の知識なら、儂の不名誉も払拭してくれる良書になるぞ」
武田信玄「儂の節操無しという偏見も払拭してくれそう」
武田勝頼「それ無理」

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あんな大河は初めてだった。OP映像の美。巧みかつ大胆な演出。脚本の見事さ、実力派揃いの俳優陣の熱演!あのファンファーレが鳴り響けば、戦国の世に生きた力なき国衆や人々の涙や笑顔とともに今なお人々の心の中に永遠に緑なる井伊谷が甦り、生き生きと輝き始めるのだ。

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筑紫広門!

今の鳥栖辺りを治めていた国衆です
九州戦国のトリックスターだと思ってます



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土岐源氏と宣言する高政だが

地方では幕府権威は高く管領に次ぐ相伴衆となり
四職の名門一色改姓も許される

国衆をまとめ、将軍から格上げされた高政は信長公にとって極めて手強い..

他に相伴衆は朝倉孝景、北条氏康、尼子晴久、毛利元就、毛利隆元、毛利輝元、今川氏真、大友義鎮など

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丹後国衆と対峙したときに使える画像

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「今川さんの今川義元公入門講座!!
 第八回:仮名目録追加!」
 
義元
「なんの騒ぎだ?」
 
家臣
「殿
今川の家臣と
出仕していた
三河の国衆が
言い争いを…」
 
義元
「そうか…
領地が広がり
家臣も領民も
増えたからな…
新しい問題も
出てくるはずだ。」
https://t.co/t3vV39RZKb

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あけましておめでとうございます!今年もよろしくお願いいたします!
【真壁久幹(まかべひさもと)】
大永2(1522)年~天正17(1589)年
常陸真壁城(茨城県桜川市)をおさめる国衆で、近隣の小田氏や佐竹氏らの間を渡り歩いた猛将。猪の旗を馬印に暴れまわったそうです!#真壁久幹

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